japanshielderの倉庫

溶けかかった脳みそからヒラメキを搾り出した過去の頁

世の中の常識は非常識という偏見こそ人生を楽しく生きるための糧である

非常識

【空調】・・・温度変化と体のダメージ

暑い夏を快適にとクーラーが登場し、オールシーズンを快適にとエアコンが登場して久しい。夏だけの機械が春夏秋冬利用できるという発想は当然の成り行きだ。

 

しかし、年中エアコンを使用していたのでは暑さ寒さという季節感に鈍感になるに違いない。

 

夏暑いからこそ夕涼みをし、行水をしたりといった文化はどこにいってしまったのか。道路に打ち水することなど見かけることもなくなった。

 

一年中一定の室温で過ごせば、外へ出たときの温度差によるストレスは体に大きなダメージを与えているに違いない。

 

うつ病は朝日にあたって体内時計をリセットすればよくなるというがそれだけではないはずだ。家の外へ出たときの気温のストレスもあるはずだ。

 

病院では患者の体の負担を考えてエアコンをがっちり利かせている。患者は体の負担が少ないから病院内ではめったに死なないが、退院して病院の外へ出ると大きなダメージを受けて死ぬものが多くなっているのではないかと怪しんでいる。

 

常識的には快適な世界であっても、健康を害する使用方法は非常識なのである。エアコンを健康のための常識としたいなら、病院から自宅までの帰路エアコンを背負って涼むがよいといいたいがそうもいかないだろう。

 

要はエアコンを年中つけるなかれと言いたいだけである。

 

気温が32℃を超えたら熱中症で死ぬものも出るだろうから、そういったときは冷やせばいい。それが快適な文化生活という非常識な生活に向かっている。節度というものが無くなるとダラシナイとしかいいようがなくなる。これが昨今の医療費財政の主因である。それゆえ野田総理の主張する「社会保障と税の一体改革」は的外れなのである。

 

世界で気温が高い赤道直下の国々の人は暑くなったら体を休めるのである。日本人は赤道直下の国ではないが仕事の効率を上げるためにエアコンを使う。快適という言葉に騙され自分の体を痛めている。日本人の常識など非常識でしかないに違いない。

 

日本人女性の長寿が世界2位になったと報道があった。もともと日本には春夏秋冬という温度変化に適応するための自然があるのにそれを利用しないで機械的にダメージを大きくした結果に違いない。当たり前のことである。

 


 

産官学での共同開発というシステムができている。

人間工学的にあるいは生物学的に妥当適切に機能するエアコン開発というものがあってもいいだろう。ストレスを軽減するため朝昼晩夜の外気温と室温の調整を行うといった研究だ。肥満を予防するための室温設定などあっていいはずだ。

 

日本人はモンゴロイドを祖先とすると主張する内科医の講演を聞いたことがある。荒野を遊牧していたころは、毎日一定の食事を執ることができなかった。食べられるときに食べる。それで皮下脂肪として蓄える能力ができたという。偏った食事が肥満の原因だというがその研究は偏っている。温度変化は食欲にも影響するから肥満にもなる。

 

日本人が健康で長生きするための基本は春夏秋冬といった温度変化を中心とする適応に関することが大事ではないかと怪しんでいる。

 

世の発明家は簡単便利の発想で発明をする。しかし、世のため人のためとならないことが多い。

 

日本の工業製品に世のため人のためという思想が浸透すれば、その製品は世界に広がるに違いない。また、健康に寄与するエアコンが開発されれば、医療費の右肩上がりを抑え下げるに違いない。

 

円高デフレで日本経済は世界経済から取り残されるという状況は事実だろう。しかし、それを打破できないのはいずれ日本人が本当に必要なもの、世界の人が必要なものとは何かを忘れ単なる物づくりをしているからではないかと非常識なチンピラ親父は考える。

 


 

【観念】・・・常識の中の非常識

日本人は「人に後ろ指をさされる」のが大嫌い。それ故に、周囲に溶け込もうと必死になる。日本人の流行はかくして生まれる。合理的であろうがなかろうが自分の周りと同化し、カモフラージュして安堵している。

 

安堵を求めるために情報を必死になって集めている。

 

それが現代社会における日本人の姿なのだろう。

 

植木等の歌で題名は忘れたが「お前の番だと声かけられて、ドヒャッとする奴ぁ、女の子・・・・」というのがあった。

 

今の日本女の子みたいのだらけである。

 

自分にリスクのあるものやストレスとなるものを極端に嫌い、出来る限り避けて通る。仕事も同じで、与えられた仕事以上はしない。少しでも仕事が多くなりそうになると、断るために屁理屈を並べ立てる。それでいて給料だけは高くしてほしいと勝手なことをいう者が多くなった。

 

昔は非常識であったが今は常識に違いない。

 


 

人間だれでも楽して金が入るならその方がいいに決まっているというのは常識になる。

 

宝くじを年中買っている者がいる。話を聞けば「一等が当たったら、会社を辞める」という。一等が当たらなければ会社にずっと居続けるのであろう。間もなく会社も潰れるに違いない。

 

非正規労働者が増えたのは単に経営のためだけではない。賃金に見合った仕事をしない者が増えたからに違いないというものがいる。

 

こう考えるのは常識なのか非常識なのかは分からない。

 


 

非正規労働者に限らず正規労働者も不景気でリストラをされている。それ故、労働者に非があるわけではないというもっともらしい意見が出るのは常識なのだろう。

 

労働者の働きが悪いから会社の経営が斜めになっているというのは非常識であると言い張る者がいてもおかしくない。

 

相手の言っていることが非常識だと思っていいるところに常識がある。しかし、自分の考えが常識だという思い込みこそ非常識ではないかと怪しむ。

 


 

最近使っているカメラが大きいので、小さなカメラが欲しくなってネットで調べていたら、定価が2万5千円で使い易そうなのがあった。通販では1万5千円が相場のようであった。

 

仕事帰りにカメラ屋に立ち寄ったら同一機種が2万2000円であった。高いと思いもう一軒、今度は大手安売り家電を覗いてみた。2万4000円だった。看板に偽りありである。

 

ネット通販のような値段にはいかないのは承知している。1万8000円までなら即時に買ったが今日は買うのを止めた。

 

店員が寄ってきたら値切ってやろうかと思ったが、こちらの様子を察してか、近づいてこなかった。

 

店員の常識も、会社の常識も非常識に違いない。

 

日本経済が傾くのは日本経済の当事者の常識が非常識だからに違いない。

 


 

世の中の常識は常に変化している。昔は常識でも今も常識とは限らない。常識の中には常に非常識が存在し、ある時その非常識が多くを占めたとき非常識が常識となり、常識が非常識になるのではないかと怪しんでいる。

 

チンピラ親父をはじめ非常識な人間がもっとたくさんいれば、やがて非常識な日本も常識の人間で溢れ繁栄するに違いない。

 


 

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