japanshielderの倉庫

溶けかかった脳みそからヒラメキを搾り出した過去の頁

世の中の常識は非常識という偏見こそ人生を楽しく生きるための糧である

政治と金

【捕捉】・・・社会保障と税の一体改革の胆

いよいよ残すところ野田政権の岐路に差し掛かりつつある。

 

野田内閣>自民党対案>民主党反増税派といった力関係の構図が見える。

 

今国会で議論があまりされなかった「マイナンバー」だが、所得捕捉のためには重要なものであった。このマイナンバー、国民総背番号制であって、これが社会保障と税の一体改革の基本要素に違いない。

 

「トウゴウサンピン」という所得捕捉の「ピン」の部分は政治家の所得である。政治家自らが資産のすべてからお小遣い帳まで所得を把握されては困るという思惑が大きく働いている。

 

社会保障を考える中でスエーデン方式だのドイツ方式だのと制度の上っ面は語られるが、社会保障が上手くいっている国では、徹底した所得の公開が成り立っていることについてあまり語られていない。

 

昨日のエントリーでも書いたが、社会保障は所得捕捉ができて成り立つもので財源安定は消費税の増税ではない。

 

所得捕捉がいい加減だからこそ、最近話題になった芸能人の家族の生活保護の受給問題が浮上した。年金額が少ないからと定額性年金の半分を国庫負担(税)の投入で解決するようにした。財源を増税に求めるのは簡単だ。しかし、正確な所得捕捉の上に行われなければならない。

 

この所得捕捉を抜きに、社会保障と税の一体改革など有り得ないのだ。

 

 

自民党案の現行制度修正案も一時凌ぎにしかならない。

民主党マニフェストは所得捕捉抜きの増税に求めているから論外。

民主党増税反対派の反対理由はマニフェスト違反だからという、これまた具体案のない抽象論なので却下。

 

実はマスコミはこの3点のみを見つめて報道しているが、ここに社会保障と税の一体改革の解決のヒントなどない。

 

社会保障の大原則は所得の再分配が基本であるから、所得補足をすればいいだけなのだ。しかし、それをしないで消費増税と言い張るから膠着してしまう。それが分からぬ総理、民主党、自民党であるから救いようもない。

 

今後あるだろう解散総選挙で所得捕捉を前面に出す政党だけが、社会保障を立て直すことができるに違いない。

 

フランスに「他人に財布と女房は見せるな。他人にたびたび使われる」という小話があるが、それを信じている政治家がいるならば社会保障は一向に改善されないだろう。

 

政治と金の問題は私腹を肥やすだけが対象ではない。自らの所得を包み隠さずオープンにすることである。それは自分の財布の中身を他人に見せるということなのだ。

 

昨日のエントリーでは財務省やその配下の公務員が仕事をしていないように書いた。それも一部は事実である。しかし、完全な所得捕捉ができない法律体系を組み立てているのは政治家である。

 

「マイナンバー導入による所得捕捉について国民の同意が得られにくい。」というが、「国民」とは議員自身ではないかと怪しんでいる。

 

マイナンバー導入による所得捕捉がなければ、社会保障と税の一体改革は解決することがないに違いない。 

 

【怪鳥】・・・「マネー、マネー」と鳴く鳥が飛んでいる

テレビがなくとも国会中継の録画が見られる便利な世の中になった。12,13日の録画を少し見ていた。

 

予算委員会では自民党が農水省事件を追求していた。

 

口のうまい人間というのは信用が置けないものだとつくづく感じる。

 

東日本大震災の復興がなかなか進まないなか、かたや中国を絡めて金儲けの話をしていた様である。

 

野田首相というのは昨年、在日からの金で火の粉をかぶったが、今回は中国がらみで火の粉をかぶっている。

 

身近な大臣が首謀者かだったかどうかははっきりしないが、胡散臭い大臣が問責決議を受け交替している。そういった怪しい人間を大臣にして来たのは首相自らが持っている負のパワーに違いない。

 

民主党議員は政治パフォーマンスの一方、チャッカリ金集めをしている議員が多い。「政治と金の問題」を繰り返しているのはお家芸なのだろう。

 

カラスなのかチョコボールを食べて黒くなったキョロちゃんかは知らぬが、体が斑(マダラ)になった怪しい鳥達が飛び回っている。

 

「ゾーゼイ、ゾーゼイ」「マネー、マネー」と鳴く怪鳥が霞が関界隈を飛び、野鳥好きな官僚が餌付けしているのではないかと怪しんでいる。

 

 

検察の負けが濃厚

検察審査会は敗者復活戦的なものである。

 

検察審査会で起訴相当で再度検察が動いても新たな証拠など集めることは不可能に近い。

 

時間は相当経過している。

 

本人の自白などなければ無理である。

 

それでも、村木裁判では供述調書を証拠として採用されなかった。先日の村木厚子氏の裁判が方向性を決めた。

 

検察は起訴する勇気はないだろう。

 

先日、「起訴」「不起訴」「起訴相当」「不起訴相当」は経過であって結論ではないと書いた。

 

小沢氏としては「起訴」してもらい裁判で「無罪」の判決を勝ち取れば「真性な白」となる。

 

検察が「不起訴」とすれば敗者復活戦後の「不起訴」であるから

結論として、小沢氏は「白」を標榜することはできるが、マスコミは「灰色」だもしくは「黒に近い灰色」だとして、再び国民を惑わすだろう。

 

検察が負けるのを覚悟で「起訴」することが望ましい。

 

それは、検察審査会の「起訴相当」に対して、検察が「起訴」しなければ検察審査会の存在の意義が問われることも含まれているからだ。

 

小沢氏の「金」で窮地に陥っているのは検察当局である。

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: