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溶けかかった脳みそからヒラメキを搾り出した過去の頁

世の中の常識は非常識という偏見こそ人生を楽しく生きるための糧である

放射脳

【健診】・・・「反原発・脱原発」と「禁煙」は不健康

病院で定期健康診断をしてきた。

 

看護師さんから「体脂肪率が昨年より少し減ってます。何かされてますか?」 

 

「・・・・夜はカルバッチョ食べて・・・。・・・・暑くて汗かいたから?」

 

心当たりはもう一つ。医者からもらった高脂血症の薬を飲むのを止めて、朝食は高コレステロールに徹したおいしい食事をし・・・・夜はカルパッチョを食べ、汗をかきながら熟睡したからではないかと怪しんでいる。

 

医者が検査結果を見て「タバコは止められた方がいい。肺活量は・・・・ あれ、普通の人より多いですね?・・・」
 

タバコには用法用量があるのをこの医者は知らないらしい。

 


 

この医者もタバコを研究しタバコの効能を熟知すれば「タバコは止めた方がいい」などとは決して言わないまともな医師になるだろう。

 

喫煙を容認する医師は「一日4、5本程度の喫煙は栄養バランスのとれた食事をしている限り健康に何ら影響を及ぼさない。むしろ、精神衛生面を考慮すれば喫煙を認めるに足る効果がある」という。

 

もちろん、喫煙は健康に良いという喫煙完全肯定論者ではない。喫煙しないものが喫煙する必要性はない。喫煙している者が薬剤まで利用して禁煙するものではない。解決方法として本数を減らす。或いはより健康な体を作れば、喫煙の問題は消えると考えているようだ。チンピラ親父はこの医師の考え方がまっとうだと思っている。

 

禁煙のために「喫煙による健康阻害について」だけを論じられたところで、誰が禁煙しようかなどと考えようか。 

 


 ふと「放射脳」の人々を思い出した。


「放射能は怖い」「タバコはがんになる」と反対している人は同じ人々である。

 

無知による恐怖が『反原発・脱原発』を叫び、『禁煙』を叫んでいる。


 

禁煙推進者は自らの健康に不安を抱き恐怖を抱いているに違いない。また、自分より健康な喫煙者を妬んでいるだけではないかと怪しむ。別の見方をすれば、自分だけは健康でありたいという願望が強いのかもしれない。サプリメント会社の餌食=優良顧客である。

 

日本経済が便利さと豊かさを追い求めた時代は終わり、個体差の健康という目に見えぬ対象に推移している。人々の恐怖を煽ることで、経済が成り立っているのではないかと怪しんでいる。

 

チンピラ親父は日本国が憲法第9条によって封印されていると思っているが、その封印を解いてはならないと説く者も「禁煙」「反原発・脱原発」と同じグループの者である。

 

個人の恐怖への対処方法が大きく誤っている不健康な人々の考え方が日本を駄目にする主因に違いない。

 

それは竹島、尖閣の対応についての野田内閣を振り向けば一目瞭然である。

 


 

ところで、「禁煙」を厚生労働相という地位と職権を乱用して日本に広く拡散させた野田総理の任命した小宮山某の行く末など簡単に予見できる。

 

 

 

「禁煙」など「反原発・脱原発」のチンコ神輿に乗る者と大して差はない。恥ずかしいふりをしているが、そのくせ乗りたいという願望は勘弁願いたい。チンピラ親父は目が腐れるから見たくない。

 

薬が切れると頭を振る小宮山某。それは薬剤依存症に違いない。不健康な人間は過ちを犯す。そこに原因があることを自らが認めることから始めなければならない。

 


 

「美しい日本」を再び目指す人もいよう。それはそれでよいが、「健康な日本」を目指すのが最初だとチンピラ親父は思う。

 

健康は医療や介護で解決できるものではない。宗教でももちろんない。自分を無為自然として見つめることでしかないと怪しんでいる。

 

全てを省みる「万省」が必要に違いない。そして、己の愚かさを受け入れるしかないのである。

 


 

人には個体差があり、生きる時間は不確定である。これは真実だろう。この真実を捻じ曲げて他人より長く生きようとするところに罪咎が生ずる。此れもまた真実。・・・とチンピラ親父は考える。

 


 

【案案】・・・新憲法素案のための思考案

時代は大きく明治、大正、昭和、平成と流れてきた。過去を振り返ると違いが明確だ。人間の生活環境による思考もある程度追随している。生まれた時代により思考の特徴が大きく三つに分けられるのではないかと考えている。

 

第一の明治時代にかけて生まれた人たちの思考で、180度価値観が転換したがそれを受け入れ環境に順応し、見るもの聞くものに興味を示し深く考える印象を受ける。社会保障制度はなかった。電気、ガス、水道などのライフラインさえ行き渡っていない時代である。

 

第二の明治時代に生まれた人たちに教育された人の思考は、明治時代によって築かれた文化や思想の中で育った人々。そこで生きた人々は大日本帝国を意識し、育っている。社会保障制度は太平洋戦争が始まるころ石炭採掘に拍車がかかり厚生年金の部分の変更が見えるが、年金は一部の国民にしか恩恵はなかった。情報もラジオの普及すら一家に一台という時代ではなかった。エアコンなんて当然ない。

 

第三の時代。太平洋戦争が終わり日本が新しい憲法の中で始めたものの特徴はやはり教育の影響が大きい。生活文化も大きく変わった時代は第三の時代である。物の時代である。電気、ガス、水道が普及し、冷蔵庫、洗濯機、ラジオ、テレビ、あげたらきりがないほどの物に埋め尽くされている。

 

ごちゃごちゃ書いても話が見えなくなる。大雑把な分類をイメージしてもらいたい。

 

まとめれば、第一は幕末から明治時代にかけて生まれた人たちの思考であり、第二は明治時代に生まれの人に教育された人、第三は昭和の太平洋戦争以後の教育を受けた人という分類である。

 

第一の時代と第二の時代は継続性を感じるが、第三の時代は分断された異質のものに感じる。恐らく大日本帝国憲法から日本国憲法への変更が原因ではないかと怪しんでいる。

 

第一の時代を明治脳、第二の時代を昭和脳と勝手に名前を付けるが、第三の時代になって明治脳、昭和脳の方々亡くなられ、生存していても認知症等になっている。

 

第三の時代は人間を狂わせる時代となっているのかもしれない。先輩ブロガーが最近の反原発・原発再稼働反対のデモを「放射脳」と評しておられる。適切な表現だと思っている。

 

繰り返すが第一の時代、第二の時代と思想や文化、生活が流れてきたのだが、第三の時代は全く別の流れである。

 

日本国憲法は日本を駄目にする憲法に違いない。それは、今の政治を見れば一目瞭然で、数合わせの政治である。義理も道理もない。亀井静香という政治家が自ら作った国民新党から追い出された。そして、国民新党は存在する。これがそのいい例だろう。

 

医療も一時期金儲けの時代があって、薬価差益で国民を薬漬けにした時代があった。色々な方法でそれができないような仕組みにはなったが、やはり、改善などしていない。その結果が認知症患者の大量発生の原因ではないかと怪しんでいる。

 

共通するのは、明治脳、昭和脳からの分断である。

 

家族制度の荒廃がばら撒き社会保障を作り上げた。少子高齢社会というのは日本国憲法が作り上げた産物である。エネルギー問題もさることながら、今、日本に存在する多くの課題は日本国憲法に原因がある。我々に課されているのは日本国憲法を捨て、新しい憲法を作ることなのだろうと思う。それは明治脳、昭和脳からの継続した思想の延長線上になければならない。

 


 

社会保障と税の一体改革案はとりあえず廃案にして憲法改正から考えねばならないに違いない。

 

その前に解散総選挙が必要だ。

 


【おまけ】

 

最近、大学を卒業しても就職がないという状況だけれど、大学を出てサラリーマンになろうという思考に問題があるように思うところ。安心のための保険でしかない。ところが、そんな保険はなくなっていたというのが現状。口を開けていい就職先がないか待っていること自体おかしい。

 

明治脳は考えて行動、常に知識の習得に貪欲。昭和脳も生活が苦しいからこそもっといい生活ともがいて生きていた。明治脳、昭和脳の人に学歴がなくとも社会のトップに君臨するような人がいたのは事実。

 

生きることに対する情熱の違いではないかと怪しんでいる。

 

生きる情熱のない者、情熱を無駄に放射する者の頭は「放射脳」なのだ。

 

 

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