チンピラ親父が最初に出会った武道は中学生のときの合気道だ。合気道は数回くらいのお付き合いしかないから「出会った」と書いた。知り合いの大学生が合気道をやっていて合気道の基本だけ何回か教えてもらった。そのうち「道場に遊びに来い。女の子と組ませてやる」と熱心に誘われたので行ってしまったのが合気道が嫌いになった原因である。

 

道場に行って女の子と組ませてもらった。ここまではお約束どおりだったのだが、女の子は外見だけで、組んだ途端に投げれること稽古時間が終了するまで続いた。後で聞いたら婦人警察官であった。何のことはない婦人警察官の稽古台にされたのだ。抵抗すると怪我をするから手や腕がビリッときたら痛みが続かないように自分から体を逃すのだが、結局押さえつけられて、畳を叩いてばかりいた。

 

そんな昔のことを思い出し1週間前にYouTubeで合気道を検索した。塩田剛三という人の演武がたくさん出てきた。合気道は植芝盛平という人が開祖だったとはずと考えながら見ていたら、植芝盛平翁の映像も出てきた。

 

植芝盛平翁

 

http://www.youtube.com/watch?v=fgZrZbtvUgE

 

塩田剛三翁

 

http://www.youtube.com/watch?v=SXoMyD50MG0

 

合気道の極意は「自分を殺しに来るものとお友達になること」だそうで、並みの人間にはできない心である。

 


 

ところで、この合気道の開祖植芝盛平という方、出口王仁三郎というあの大本教と深いつながりがある。植芝氏は大本に入信してのち「合気道」と称した。だから合気道の中に大本の教えが流れている。さらに大正、昭和の時代に柔道や剣道の師範達が植芝氏の道場の門を叩き多くの武道家が入門している。これは極論になるかもしれないが、現在の武道の中に大本教の影響を受けた合気道の思想が入っているのではないかと怪しんでいる。

 

江戸時代に分散していた武道の要素を大正、昭和の時代に集約したものが合気道なのだろう。一方大本教も江戸時代後期の宗教運動から天理教、金光教を手本とし、組織運営や布教方法は本願寺を参考にし、後にはキリスト教などの運営方式も取り入れたとされている。いずれ合気道と大本教はその成立過程において大衆がばらばらに持っていたものをまとめあげて発展したということができる。

 

以前のブログで「日本には武道や芸術など残っている」と書いた。しかし、後継者がいなくなればその真髄を正しく伝えることができずに廃れてしまうのは世の常である。組織が大きくなれば分裂し、亜流もまた多く出てきて本物を見極めることが難しい。どの道でも正しく導くのが師の務めであり、良い師と出会えるかどうかが大事なことに違いない。

 

今の日本の武道・芸道・学問において師範と呼べる人が何人いるのだろうか。それが国体の隆盛衰退を左右するに違いない。武道・芸道は個人に選択の余地があるからいいとしても、教育学問における師範は直接国体に影響するから特に重要だ。戦後教育の見直しは師範から教員へ代わったが徳の教育を忘れた学力至上主義が横行している。昨今の日本社会現象を見れば頷くところが大いにあるのではなかろうか。