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憲法

【改廃】・・・金曜討論から

産経金曜討論で興味ある記事が掲載されていた。

 

チンピラ親父は櫻井よしこ氏の意見とほぼ同じで、今の日本が平和であるための総論としての「憲法第9条改正」を支持する。もっともチンピラ親父は「改廃」と枠を拡げているから全く同じではない。しかし、導きだされる解はほぼ同じに違いない。

 


 

つい先日、「自衛隊は軍隊ではない」とエントリーした。あくまでも正規の軍隊を持つことこそ戦争抑止になるものだ。

 

そして、東アジアの平和を乱し領土の実効支配を許し、侵略を挑発しているのは我が国「憲法第9条」に他ならない。

 

福島瑞穂氏の意見を取り出せば、

 

--9条の意義とは

 

 「9条がなければ戦争ができる国になっていた。韓国の若者がベトナムに従軍したように日本も戦地に若者を送ったはずだ。韓国軍はベトナムで憎まれている。戦後の日本が戦争で人を殺さなかったことは誇ってよい。日本が今後、米国の利害に引っ張られて戦争への加担を強いられたときに、『NO』と断れるのが9条の効用だ

 

 ●9条守れば攻撃されず

 --他国からの攻撃にはどう対応するか

 

 「9条で『世界を侵略しない』と表明している国を攻撃する国があるとは思えない。攻撃する国があれば世界中から非難される」

 

福島瑞穂氏のような自己中心的な意見がアジアの平和を乱

し、日本を危機に陥れている元凶と認識すべきである。

 


 

韓国の李明博大統領の挑発に対して、直ちに戦争をせよという過激な意見も登場はしているが、憲法第9条の改廃を前提に、そして、ロードマップを描きつつ発言された意見かどうかが問題だ。

 

もし、そのようなことを意識されていないとすれば、単なる暴論としか評価できない。

 

現行憲法における「不断の努力」というキーワードが隠された日本人へのヒントである。このキーワードを突き詰めていくと幾多の矛盾に遭遇する。その矛盾を解決することこそ「憲法第9条」を含む日本国憲法の改廃だ。戦後封印された日本国があるべき姿へ解放するものなのだと思っている。

 

 



クローズアップされる「憲法9条」 櫻井よしこ氏、福島瑞穂氏が語る

櫻井よしこ(公益財団法人国家基本問題研究所理事長・ジャーナリスト)インタビュー=22日午後、港区赤坂(宮川浩和撮影) 

 【金曜討論】

 北方領土、尖閣諸島、そして竹島…。近隣諸国がわが物顔で日本固有の領土を侵食するなか、改めてクローズアップされているのが憲法9条の存在だ。“平和憲法”の名の下に、戦力の不保持を明記した条文を抱えたまま祖国を守れるのだろうか。ジャーナリストの櫻井よしこ氏と、社民党党首の福島瑞穂氏に考えを聞いた。(内藤慎二)

 

 ■櫻井よしこ氏「改正せずは国民への背信」

 --9条について

 

 「最も速やかに改正しなければならない。最大の理由は自衛権が明記されていないことだ。私の試案では『日本国は自らの独立と安全を守り、国民を守るため国防軍を持つ』と明記した」

 

 ○中韓露は公正なのか

 --9条の理念で他国から国土を守れるか

 

 「憲法の前文と9条は一体だ。前文には『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』とあるが、中国韓国、ロシアの公正と信義は一体どこにあるのか。3国の動きを見る限り、前文と9条は国民に対する責任放棄で背信以外の何物でもない」

 

 --戦後、「9条を守れば外国から攻撃されない」と訴える政治家も少なくなかった

 

 「その種の意見を政治家が口にすれば国際社会の笑いものになる。政治家の責務は日本国民の命、領土・領海、いわゆる国益を守ることだ。相手が攻めてこないとの前提に立って、対策を講じないのは知的怠惰の極みだ」

 

--尖閣はどう統治すべきか

 

 「警察官や研究者らを常駐させて目に見える実効支配を実現し、周辺の海の警備は海上保安庁が担うべきだ。自衛隊は少し離れた海上にいて、緊急事態のときに速やかに対応できるようにする」

 

 --9条が戦後の日本人に与えた影響は

 

 「自衛隊や軍備の話題になるだけでおどろおどろしい印象を抱く人が少なからず生まれてしまった。日本人の『責任ある人間として生きる道』が否定されて、本来とは異なる人種になってしまったような気がする」

 

 --国防は「米国頼み」の印象が強い

 

 「何か起きれば『自分が解決するにはどうすべきか』を論ずるより前に『日米安保条約は適用されるのか』と問う。一方、『オスプレイは嫌だ』『基地は無くせ』と主張する。卑劣で身勝手すぎるのが心配だ」

 

 ○核武装論議も避けるな

 --あるべき国防論議とは

 

 「今は反原発運動が盛んだが、核武装に至るまで議論は避けるべきではない。テロリスト勢力にも核兵器が渡る可能性がある時代に生きていることを、われわれは認識しなければならない。『究極の生き残り』のために国家はあらゆる手法を考えるべきだ」

 

 --日本人は自衛意識が低いとの声もある。韓国のように徴兵制を取り入れるべきか

 

 「憲法に『公に尽くす義務』を盛り込むべきだ。数年間他者のために、公のために、日本のために尽くすことを義務付ける。それは自衛隊、消防隊、海保、福祉の現場、なんでもいい」

 

以下省略  <引用 産経http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/dompolicy/587757/www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/dompolicy/587757/


 

【再掲】・・・憲法改正の外側

本年1月2日に「【安保】・・・韓国がヤバイ」と題してエントリーしたものを全文再掲し、後半コメントをこ加筆している。

 


 

日本の政治が日米安保条約で国土防衛をなおざりにしてきたツケが回っているだけでしかない。憲法第9条改正による軍隊の保持がタブーとされ、あるいは忌み嫌われてきた結果でしかない。日本がアジアをリードするという政府の希望があるが虚勢である。独立国としての責務としての国土防衛を他国に委ねていているようでは実現は不可能である。

 

日米の関係は米国が宗主国で日本が植民地ではないにせよ、従属国の位置関係を踏襲しているところに、外交政治の強い制限が今もなお続いている原因だ。これが、隠された憲法第9条と日米安保条約の本当の意味ではないのか。

 

米国にとっては対中戦略や対北朝鮮戦略を考えればいいだけだが、日米安保が破棄となれば、日本は中国北朝鮮ロシアよりももっと身近な韓国を仮想敵国としなければならないことに気づいていない。

 

日米安保崩れれば、米韓相互防衛条約が残るが首の皮一枚といったところである。米韓相互防衛条約の破棄も当然起こってくる。そうすれば、日韓の平和の担保は全くなくなる。

 

現在、極東で危険な国は、中国北朝鮮のように言われているが、チンピラ親父は韓国が一番危険だと思っている。

 

中国の軍事的脅威は確かにあるが、民族間紛争や共産党の一党独裁への人民の不満が多く、大国の維持をするのに精いっぱいである。改革開放路線でのGDP世界第2位もそろそろバブルがはじけ国内が大混乱する。そして何より期待できるのは、民主化勢力が健在であること。反共分子を粛清しようが人口が多すぎて粛清しきっていないことだ。

 

北朝鮮金正日死去により金正恩が指導者になったばかりだが、北朝鮮が朝鮮半島統一の先軍政治しか今のところ頭にない。ミサイルはあるが日本への直接攻撃は当分考えられない。

 

韓国が一番危険だというのは、先だっての野田総理の韓国訪問の際の「従軍慰安婦問題」を韓国政府がほじくり返した件にあるのだ。彼ら韓国は韓民族という幻の民族を作り上げている。そして、国ぐるみで歴史の改ざんを行っているところに大きな問題がある。例えば反共を唱えた統一教会はキリスト教や世界の宗教を模倣した宗教団体だったが、そのバイブルである原理講論など世界史の改ざんと宗教の改ざんである。日本でも洗脳された信者の資産がかなり韓国へ流れた。そして、日本の大物政治家もかなり関与している問題がある。それは日本の政界に大きなブラックホールがあるということだろう。

 

また、「丹TAN」という鳳宇(ポンウ)道人を始祖とするオカルト団体の思想は「韓民族が世界の盟主になる」というものだ。北へ向かい進軍し、中国の内乱に乗じて中国を乗っ取るというのだ。日本人からすれば奇想天外なのだけれども韓国では関連図書は優に100万部以上を記録したという。これらの現象は、韓国が韓民族という虚構の民族を作り上げるための演出を取り入れるということを証明している。自分たちの血に馬賊や漢民族の血が混ざり流れであることを薄々知っているからこそ、立派な韓民族というものを作り上げなければ生きていけないに違いない。

 

この韓国人を一旦誤った方向性に導く政治家が出てくれば、第二次朝鮮戦争は勃発するし、非共産主義国家であるにもかかわらず、単一方向へ国民が動く危険性があるのだ。それは、共産主義国家より始末が悪い。どの国でも良識ある人物というのはいるはずだが、その数の絶対数が低いのが韓国だろう。

 

そういった意味からすれば、韓国中国北朝鮮ロシアより危険な存在に違いない。日米安保の破棄という問題は、韓国との外交問題を領土防衛の視点で考える必要があるのではないかと思われる。

 

今の民主党政権にはそういいた熟慮が欠けている。親韓、親朝など考える暇があるなら日米安保破棄の前に憲法第9条を改正し正規軍を持ち、米国からの従属国の否定という立場を明確にすることを考えるべきである。制限付きの自衛隊は軍隊ではない。自衛隊を憲法第9条解釈で運用することこそ無意味なことであり領土防衛におけるほころびなのである。

 


 

最近ようやく憲法改正に動き出しているが、どうも民主党には改正する前向きな姿勢がないようだ。

 

しかし、現実を見れば、昨日韓国の李明博大統領が実効支配されているもののわが国領土竹島に上陸するという許しがたい暴挙に出た。

 

民主党政権は大使を召還させて「毅然と対応する」ことにしただけのようだ。数年もすれば「竹島」の実効支配も有効になるに違いない。

 

わが国が正規の軍隊を持たないところに周辺各国が付け入った行動をしている。法律的な解釈論で防衛が出来ると云うのは、政府側の逃げである。民主党はもちろんであるが歴代自民党政府も逃げ腰で憲法改正を怠ったツケが昨日の韓国の行動を引き起こさせたのである。

 


 

遅々として進まぬ憲法改正へ向け一つの提案がある。それは現行憲法と現在社会の問題点を突き合わせて改正案を練るのではなく、旧憲法である明治憲法(大日本帝国憲法)と現代社会の問題点をつき合わせて見てはどうかというものである。

 

天皇制や軍隊に関する修正点は少ないはずである。そして、明治憲法下における臣民に関する検討が大きなウエイトを占めるに違いない。それは、現行憲法によって旧憲法の箍(たが)が外され自由主義にどっぷりと浸った日本人がどこまで権利制約を絞り込むかという大きな論点が瞼にに浮かぶからだ。

 

その論点こそ現代社会における二極化した諸問題や領土問題、沖縄問題などの解決の糸口となるに違いないと考えるのである。

 

現行憲法の最大の欠点は国体の方向性の箍(たが)が外れて全方位へ意見が放射している点にあるのではないかと怪しんでいる。

 


 

【日曜】・・・憲法改廃の時

今の日本人の関心は中国に日本の領土尖閣諸島を奪われはしないかという心配ではないだろうか。尖閣諸島を東京都が購入する話が出たらあっという間に何億円という寄付金が集まった。

 

国土が広く人口も多い中国が、空母や原子力潜水艦を保有して太平洋を徘徊しはじめている。もちろん南シナ海やインド洋にも徘徊しているのは明らかだ。

 

海洋権益を我がもの顔に収奪しようとする浅ましい動きなのだが、日本政府は事を荒立てずに処理ができると考えてきた。恐らく日米安保があるから大丈夫と考えていたに違いない。

 

沖縄に駐留している米軍海兵隊は極東の有事を想定しての配備だが、日本人は北朝鮮のことしか頭にないのかもしれない。北朝鮮の金正日が亡くなり、安堵しているかのようだ。沖縄に米海兵隊が駐留するのは、中華人民共和国の武装侵略を抑制するための拠点でもあることをすっかり忘れている。

 

オスプレイが墜落するから反対というのは左翼の煽動ではないかと怪しんでいる。オスプレイが配備されて直ちに沖縄住民の住宅地に墜落するわけではない。

 

オスプレイ反対、沖縄普天間基地廃止、辺野古基地移設反対を唱えたいならば、憲法第9条の即時改廃を唱え、日本は正規の軍隊を持ち、徴兵制とし沖縄に国軍を常駐させなければ国土防衛の担保がないと主張するのが筋ではないか。

 

日本人が憲法に定める「不断の努力」を忘れ去って憲法に胡坐をかき続ければ国を守ることなどできるわけがない。安保などいつ破棄されるか分からない。日米の信頼関係は民主党の失政で地に落ちたのだ。

 

憲法の「不断の努力」という文言が挿入されているのは肝である。この憲法の肝を忘れて動けばいずれ国体が荒廃することを予見して敢えて挿入したに違いない。

 

今「自由と権利を公共の福祉の名のもとに常に乱用している」日本人が闊歩し「不断の努力」が全く見られない。

 


 

憲法改正の動きが出始めているが、まだ始まったばかりである。

憲法の改正は継ぎはぎとなる。しかし、新しい憲法を起草するにはなお多くの時間を要するからしかたあるまい。とりあえず、憲法第9条は改廃して正規の軍隊を持つべきである。

 

「国民自らが領土を守るという意思のもとに軍隊を創設する」 それが我が国の毅然とした態度の表明である。それが戦争抑止力になるのだ。

 

日本の政治が空転し憲法改正さえ先に進めない。とりあえず他力本願ではあるが、中国共産党一党独裁の中華人民共和国が覇権主義を振り回し軍事紛争を起こす前に、中国国内民主化運動により共産党勢力が崩壊することを切に願うところだ。

 

誠に情けない日本の国内情勢で ある。「消費増税」など二の次、三の次の話である。速やかに解散し国民の信を問うべきである。そして、速やかに国土防衛の抑止力たる軍隊の創設のために憲法が改廃されることを望む。

 


  

【乱用】・・・死刑未執行は憲法違反。

 社会の末端では平和憲法とされる現行日本国憲法をもとに作られた諸法がいじめ問題を抑制できず、また重大な交通事故で人を殺した者や無差別に人を殺した者の処罰を十分に行っていない。他人の不法行為によって夫や妻や子らを奪われ悔し涙を流して泣いている者が多い。

 

どうしてこんなことが増えたのだろう。

 


 

現行憲法第12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民はこれを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。」と定められているのだが、国民の多くは「自由と権利を公共の福祉の名のもとに常に乱用している」のが実態だ。

 

「目には目を、歯には歯を」というハムラビ法典は罪刑法定主義の原点であり、倍返しのような過剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめて報復合戦の拡大を防ぐことを意識したものである。憲法を基本に罪刑法定主義でできた刑法は、民主党になって死刑判決が確定しても法務大臣のわがままでサインをしないため執行されていない。憲法を捻じ曲げていることを総理大臣が黙認したのである。行政の長たる総理大臣が憲法を破っているといっても過言でない。

 

いじめ自殺問題は単に、教育委員会や学校の教師だけの問題ではない。行政の長たる総理大臣の「自由と権利を公共の福祉の名のもとに常に乱用している」罪が社会末端で表出しているのである。大津のいじめ自殺問題はその一連の流れの終端の事象なのである。

 

「自由と権利を公共の福祉の名のもとに常に乱用している」親を見て子が育ったからに違いない。しかし、大津いじめ自殺問題の最大の原因は欺瞞に満ちた民主党内閣の存在なのである。「自由と権利を公共の福祉の名のもとに常に乱用している」親を野放しにしたのは罪刑法定主義を平気で歪めた民主党政権だ。民主党は直ちに解党しなければ、また、犠牲者が出てくるだろう。民主党という無責任な集合体が存在することが社会悪を増やしている。

 

最高裁判所では憲法違反を審理する。ならば、憲法を守らない民主党政権歴代内閣は憲法違反である。内閣不信任案を待つまでもなく無効内閣であるはずだ。憲法を守らない内閣総理大臣に解散権などあろうはずがない。内閣違憲判決で直ちに総選挙ができるに違いない。

 

「自由と権利を公共の福祉の名のもとに常に乱用している」事こそ国体の衰退の原因であり、諸悪の根源に違いない。

【案案】・・・新憲法素案のための思考案

時代は大きく明治、大正、昭和、平成と流れてきた。過去を振り返ると違いが明確だ。人間の生活環境による思考もある程度追随している。生まれた時代により思考の特徴が大きく三つに分けられるのではないかと考えている。

 

第一の明治時代にかけて生まれた人たちの思考で、180度価値観が転換したがそれを受け入れ環境に順応し、見るもの聞くものに興味を示し深く考える印象を受ける。社会保障制度はなかった。電気、ガス、水道などのライフラインさえ行き渡っていない時代である。

 

第二の明治時代に生まれた人たちに教育された人の思考は、明治時代によって築かれた文化や思想の中で育った人々。そこで生きた人々は大日本帝国を意識し、育っている。社会保障制度は太平洋戦争が始まるころ石炭採掘に拍車がかかり厚生年金の部分の変更が見えるが、年金は一部の国民にしか恩恵はなかった。情報もラジオの普及すら一家に一台という時代ではなかった。エアコンなんて当然ない。

 

第三の時代。太平洋戦争が終わり日本が新しい憲法の中で始めたものの特徴はやはり教育の影響が大きい。生活文化も大きく変わった時代は第三の時代である。物の時代である。電気、ガス、水道が普及し、冷蔵庫、洗濯機、ラジオ、テレビ、あげたらきりがないほどの物に埋め尽くされている。

 

ごちゃごちゃ書いても話が見えなくなる。大雑把な分類をイメージしてもらいたい。

 

まとめれば、第一は幕末から明治時代にかけて生まれた人たちの思考であり、第二は明治時代に生まれの人に教育された人、第三は昭和の太平洋戦争以後の教育を受けた人という分類である。

 

第一の時代と第二の時代は継続性を感じるが、第三の時代は分断された異質のものに感じる。恐らく大日本帝国憲法から日本国憲法への変更が原因ではないかと怪しんでいる。

 

第一の時代を明治脳、第二の時代を昭和脳と勝手に名前を付けるが、第三の時代になって明治脳、昭和脳の方々亡くなられ、生存していても認知症等になっている。

 

第三の時代は人間を狂わせる時代となっているのかもしれない。先輩ブロガーが最近の反原発・原発再稼働反対のデモを「放射脳」と評しておられる。適切な表現だと思っている。

 

繰り返すが第一の時代、第二の時代と思想や文化、生活が流れてきたのだが、第三の時代は全く別の流れである。

 

日本国憲法は日本を駄目にする憲法に違いない。それは、今の政治を見れば一目瞭然で、数合わせの政治である。義理も道理もない。亀井静香という政治家が自ら作った国民新党から追い出された。そして、国民新党は存在する。これがそのいい例だろう。

 

医療も一時期金儲けの時代があって、薬価差益で国民を薬漬けにした時代があった。色々な方法でそれができないような仕組みにはなったが、やはり、改善などしていない。その結果が認知症患者の大量発生の原因ではないかと怪しんでいる。

 

共通するのは、明治脳、昭和脳からの分断である。

 

家族制度の荒廃がばら撒き社会保障を作り上げた。少子高齢社会というのは日本国憲法が作り上げた産物である。エネルギー問題もさることながら、今、日本に存在する多くの課題は日本国憲法に原因がある。我々に課されているのは日本国憲法を捨て、新しい憲法を作ることなのだろうと思う。それは明治脳、昭和脳からの継続した思想の延長線上になければならない。

 


 

社会保障と税の一体改革案はとりあえず廃案にして憲法改正から考えねばならないに違いない。

 

その前に解散総選挙が必要だ。

 


【おまけ】

 

最近、大学を卒業しても就職がないという状況だけれど、大学を出てサラリーマンになろうという思考に問題があるように思うところ。安心のための保険でしかない。ところが、そんな保険はなくなっていたというのが現状。口を開けていい就職先がないか待っていること自体おかしい。

 

明治脳は考えて行動、常に知識の習得に貪欲。昭和脳も生活が苦しいからこそもっといい生活ともがいて生きていた。明治脳、昭和脳の人に学歴がなくとも社会のトップに君臨するような人がいたのは事実。

 

生きることに対する情熱の違いではないかと怪しんでいる。

 

生きる情熱のない者、情熱を無駄に放射する者の頭は「放射脳」なのだ。

 

 

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