japanshielderの倉庫

溶けかかった脳みそからヒラメキを搾り出した過去の頁

世の中の常識は非常識という偏見こそ人生を楽しく生きるための糧である

日本

【尖閣】・・・シナイ山に見える

 

尖閣諸島

 

手前左が南小島、手前右が北小島、後ろが魚釣島


 

チンピラ親父には魚釣島はシナイ山に見えるのだが。

 

 

シナイ山

 


しかし、本当のシナイ山は上の写真ではなくここではないかという話があったので紹介。

 

http://www.youtube.com/watch?v=QdMDm3apWzU

 


この映像で牛がいけにえのために連れられてきたと語れていた。チンピラ親父としては、一寸考えるところがある。

 

秋田県大湯黒又山(クロマンタ、クルマンタ)の名前に注目。

 

蝦夷語で「クル」は「神」、「マンタ」は「マクタ」の訛りで「野」、「キシタ」は「山」。つまり、「クルマクタキシタ」で「神野山」が「クロマンタ」と呼ばれるようになったという説である。

 

そして、裾野に大湯の環状列石群がある。これは生贄を含む祭祀をした跡と云われている。

 

アイヌが生贄をささげる宗教を持っていたことになる。ユダヤの民と同じである。

 

 

アイヌはヤペテの子孫で、アイヌが日本に渡来した時期は「バベルの民族離散」からそれほど隔たっていない時期ではないかと云う説がある。

 

日本の先住民としてのアイヌの痕跡は現在の東北地方が中心のように思われるが、日本全国に散っている。九州地方のハムの子孫である小人族カナンの民を支配していたと云う。先だって、「アイヌと琉球は縄文型 日本人の遺伝系統、ゲノム解析で裏付け」というニュースが流れた。

 

縄文時代からの先住民はヤペテの子孫で、神武天皇(イスラエル10部族)の子孫が後から来て戦ったことになる。その部分について言葉が通じていたと考えられるのは、蝦夷征討の際に無条件降伏をし、朝廷側の僕となっているものが多数いたという事実があるからだ。

 

日本人のルーツはモーセから分かれた人々が時代を経て再開したことになる。

 


 

日本人の祖はユダヤではないかと纏めてしまう。

 

尖閣諸島魚釣島がシナイ山だと見えたのはDNAが疼いたせいかも知れない。

 

尖閣諸島魚釣島を「モーセ島」に改名して山の名前を「シナイ山」としてはどうか。


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【桃太郎シリーズのまとめ】

 

●【明解】・・・「狙い撃ち」は「鬼」の歌である

●【新説】・・・桃太郎から見た日本の歴史

●【推論】・・・桃太郎は神武天皇だった

●【安寧】・・・とりあえずモーセ五書律法の実践で

●【尖閣】・・・シナイ山に見える

 

「桃太郎」を昔話として読むのではなく預言書として読む時期なのかもしれない。雉、犬、猿はユダヤ教、イスラム教、キリスト教を家来として、鬼(共産・社会主義者=無心論者)を殲滅せよと云うところに帰趨する。

 

「桃太郎」は世界を震撼させる革命の教典ではないかと怪しんでいる。

 


 

 

 

【推論】・・・桃太郎は神武天皇だった

日本人の祖先はイスラエルの失われた10支族という説がある。

 

この話を展開するには若干の歴史を振り返る必要がある。

 


 

まず、モーセが死んでヨシュアがイスラエルの民を率いて神がアブラハムとモーセに約束したカナンの地にたどり着く。このカナンの地を12部族に分け与えられるのだが、この地に外敵ペリシテ人の侵攻などがあり、紀元前11世紀ごろにユダ王国のダビデ王がイスラエル12部族をまとめた国の王となった。

 

紀元前922年ソロモン王の死とともに王国が分裂、エルサレムを首都とするユダ王国と、サマリアを首都とする北イスラエル王国となる。そして、北イスラエル王国がアッシリアに紀元前721年に滅ぼされ、ユダ王国は紀元前586年にバビロニアのネブカドネザルに滅ぼされ、すべての住民がバビロニアに連れ去られた。バビロニア捕囚である。


 

チンピラ親父は北イスラエル王国の滅亡によるイスラエル10部族が日本に逃げ延びたとする説はかなり信憑性があるのではないかと考えている。それは神武天皇の誕生が紀元前711年であり、北イスラエル王国がアッシリアに滅ぼされた紀元前721年と近似しており可能性が大きいからだ。ユダヤ教は神道との共通点が多い。日本語の中にヘブライ語と同じ意味を持つ言葉が多く存在するなど、唸らせる点が多い。

 

神武東征は北イスラエル王国の大移動の歴史だったとすれば、古事記や日本書紀が単なる神話であると決め付けるのはいただけない。記紀はユダヤ教の聖典であるモーセ五書(律法=創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)・預言書(イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書他)・諸書(ルツ記、エズラ記他)の「タナッハ」の口伝を漢字表記したのではないのかと怪しむのである。

 

歴代の天皇が長い時を費やして日本を統一したという歴史は覆せない事実である。そして、イスラエルの地から日本に移動するまでと日本についてからの戦いが宗教(律法)を持つ10部族が宗教(律法)を持たぬ種族の乱れを平定したということではないのか。

 

宗教が人間に与えているのは制約である。その制約は社会を維持するための最低限のルールであるのではないかと考えている。それが律法である。原始共産制の慣習からルール作りが行われ、それが発展して多くの律法が出現した。その集約したものが宗教のように思えるのだ。


 

こんなことを思いながら「桃太郎」を読むと、律法を持たぬ種族が悪事を行う。それは時として、暴力により人をさらい好き勝手な振る舞いをする鬼ではなかったのか。それらの鬼を退治しながら日本が建国されたように思えてならない。ユダヤ教は律法に基く行動の実践を重視する。

 

「桃太郎」の話はユダヤ教正典「タナッハ」に基く実践としての神武東征の口伝律法であるタルムードではないかと怪しんでいる。そこから考えられるのは、「桃太郎は神武天皇だった」という推論を導きだせるのではないだろうか。それと同時に、そのタルムードに従って行動した者たちが日本各地にいたから、少しずつ内容の異なる桃太郎伝説が存在するということではないのか。  

 


 

 

【新説】・・・桃太郎から見た日本の歴史

桃太郎伝説といえば、日本全国に伝わる昔話である。岩手県に伝わる桃太郎伝説がある。チンピラ親父が知っている桃太郎は川から流れてきたのだが、岩手県では桃を寝床に置いておいたらモモが割れて桃太郎が生まれたという。大人向けの話では桃を食べた老夫婦が求愛し桃太郎を授かったという話もあるようだ。

 


 

 父と母が花見に行き、弁当を食べようと休んでいると、母の腰元に桃が一つ転がってきた。それを拾って帰り、綿にくるんで寝床に置くと、桃が割れて子供が産まれた。桃ノ子太郎と名付けた。

 桃ノ子太郎は成長し、父母が畑に出た後で留守番をして勉強していた。すると、家の裏口の柿の木にカラスが飛んで来て、地獄から手紙を持ってきた、と鳴いた。その手紙は鬼からで、「日本一の黍団子を持ってきてくれろ」と書いてあった。桃ノ子太郎は父母に黍団子を拵(こしら)えてもらい、地獄へ旅立った。

 地獄の門を叩くと鬼どもが出てきて、「黍団子ひとつ、ごもっとも」と言う。一つずつやると、鬼はそれを食べて酔って寝てしまった。その間に桃ノ子太郎は地獄のお姫様を車に乗せ、急いで逃げ出した。鬼が目を覚まし、火の車で追ってくる。危うく追いつかれそうになったが、桃ノ子太郎たちの車が海の上に出たため、鬼はそれ以上追ってこれず、仕方なく引き返していった。鬼の火の車は、水の上は走れなかったのだ。

 桃ノ子太郎はお姫様を家に連れ帰った。このことがお上に聞こえ、金をもらって長者になり、安楽に暮らしたという。<引用  佐々木喜善:著 『紫波郡昔話』

 


さて、我々が共通して知っている桃太郎は、東京音楽学校岡野貞一氏が作曲した文部省唱歌「桃太郎」だろう。せいぜい1番から3番あたりまでは覚えているに違いない。

 

http://www.uta-net.com/movie/101879/

 

 

1. 桃太郎さん 桃太郎さん
  お腰につけた 黍団子
  ひとつ わたしに くださいな

2.
 やりましょう やりましょう
  これから鬼の 征伐に
  ついて いくなら あげましょう

3.
 行きましょう 行きましょう
  あなたについて どこまでも
  家来に なって 行きましょう

4.
 そりゃ進め そりゃ進め
  
一度に攻めて 攻めやぶり
  つぶして しまえ 鬼ヶ島

5.
 おもしろい おもしろい
  のこらず鬼を 攻めやぶり
  分捕物を えんやらや

6.
 万々歳 万々歳
  お伴の犬や 猿雉子は
  勇んで 車を えんやらや

 




さて、5番6番にでてくる「えんやらや」という言葉なのだが、辞書で引けば「ようやく」とか「どうにかこうにか」という意味が出てくる。しかし、これはヘブライ語「エアニ・アハレ・ヤー」が訛ったものだと云われている。これを訳せば「我こそは主を誉めたたえまつらん」や「我はヤーベを賛美する」となるという。

 

京都祇園祭りの祇園囃子「えんやらやー」と同じである。祇園祭はシオン祭が起源だという説まである。

 

作詞者は不詳だが、この歌詞はどこから持ってきたのだろうか。

 

桃太郎伝説は日本中にある。その題材で共通するのは、出生不明確な桃太郎が鬼を成敗し、鬼に弄ばれる女子を助けてめでたしめでたしというストーリーが一般的だ。しかし、その主題は「鬼を成敗する」ことにある。

 

過去エントリーで【夏祭】で鬼成敗にまつわる「さんさ踊り」はヘブライ語で「喜び」を意味するから「喜びの踊り」であることはすでに書いた。

 

そこで、もう少し考えたのが、ヘブライ語訛りが残る日本では「鬼」とは「神を信じぬ者」の意味ではないのかと思い浮かんだ。鬼は荒くれ者であり、酒を飲み暴れ、婦女子を暴行し連れ去るといった習性がある。今にしてみれば野蛮人である。

 

先日の記事でも沖縄とアイヌの遺伝子が共通する様な記述があったが、縄文人イコールアイヌと考えられてしまうがそれは誤りだろう。縄文人の中の一種族としてアイヌが存在するというように考えなければならない。アイヌ自体は穏和な種族であった。むしろ、中国渡来系、朝鮮半島渡来系、ロシア渡来系、カムチャッカ半島渡来系などの種族が日本列島に渡り着いて生活していた可能性の方が高い。そして、それは日本全土に及んでいたに違いない。

 

神武天皇を祖とする大和民族が日本列島に渡来し「神の名の下に」荒くれ原住民の一部を成敗していったのが日本の歴史の根幹ではないかと怪しんでいる。

 

明治以前に口伝されていたものが歌詞となったのだろう。そして、桃太郎の唱歌で「えんやらや」を残したに違いない。

 

桃太郎伝説の有力な説は第7代孝霊天皇の第3皇子彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと、吉備津彦命)、稚武彦命(わかたけひこのみこと)兄弟の吉備国平定における活躍と、岡山県(吉備国)の温羅(うら)伝説に由来するものとする説がある。第7代孝霊天皇の時代は紀元前290年から紀元前215年頃は岡山付近で鬼退治をしていたのだろう。

 

蝦夷征討は景行天皇(71-130年)、仁徳天皇(313-399年)の時代には始まっている。そして、蝦夷の大乱1268年が起きているから、このあたりまで、「鬼退治」があったと理解すると日本史も分かりやすい。

 

日本全国に残る「鬼退治」伝説は、神武天皇を祖とする大和民族の国家統一事業だったのかもしれない。それが今の日本国となっているのではないか。だとすると、日本人のルーツを中国大陸や朝鮮半島に求めるのはあまり意味がない。文部省唱歌「桃太郎」は皇国史観に基づく興国の歴史伝承の歌ではないのか。

 

伝説や昔話などを考えると日ユ同祖論へと導かれる。チンピラ親父の日本の歴史が濃厚になってきている。 

【不明】・・・縄文人と弥生人

 アイヌと琉球は縄文型 日本人の遺伝系統、ゲノム解析で裏付け

 

 日本人の遺伝的な系統はアイヌ(北海道)と琉球(沖縄県)が縄文人タイプで、本州・四国・九州は縄文人と弥生系渡来人との混血とみられることが、東京大などのゲノム(全遺伝情報)解析で分かった。約100年前に提唱された「アイヌ沖縄同系説」を裏付ける成果で、1日付の日本人類遺伝学会誌電子版に論文が掲載された。

 日本人の成り立ちについてドイツ人医師のベルツは明治44年、身体的特徴の共通性からアイヌと琉球は同系統と指摘。人類学者の埴原(はにはら)氏は平成3年に「二重構造説」を提唱し、本州などでは弥生時代以降に中国や朝鮮半島からの渡来人と先住民の縄文人が混血したが、アイヌや琉球は遠いため混血が少なく、縄文型の系統が残ったとした。

 今回の結果はこれらの仮説を高い精度で裏付けるもので、日本人の起源を探る上で貴重な成果という。仮説はこれまでもミトコンドリアDNAの分析結果などで支持されてきたが、はっきりしていなかった。

 研究チームはアイヌ系36人、琉球系35人のゲノムを解析し、DNAの個人差を示す60万個の一塩基多型(SNP)を調べ、本州・四国・九州の計243人や韓国人などと比較した。その

 結果、アイヌと琉球が遺伝的に最も近縁で、本州などは韓国と琉球の中間と判明。アイヌは個人差が大きく、北海道以北の別の民族との混血が起きたとみられることも分かった。

 研究チームの斎藤成也総合研究大学院大教授(遺伝学)らは縄文人の骨からDNAを採取して解析中で、斎藤教授は「分岐や混血の年代を推定して日本人の変遷を明らかにしたい」と話している。<引用 産経

 


 

チンピラ親父の大好きな日本人の研究。

 

もともと沖縄の民族がカヌーや小さな帆船等で日本海を北上したとされることが伝わっていた。

 

稲作は弥生人がもたらしたと学校教育では教えている。青森県の田舎館村垂柳で稲作がおこなわれていた痕跡が発見されたが、近くから出土した土器が弥生式土器だという。これによって、本州最北の青森県が縄文人のほかに弥生人が存在したことになる。

 

しかし、これは弥生式土器の出土を根拠に弥生文化があったとしているにすぎない。日本列島の南から北へ弥生人が侵攻した歴史は古墳時代まで見当たらない。弥生人は沖縄人と同じように船を使って今の青森県に渡りつき、弥生文化を伝えたかもしれない。古墳時代の蝦夷征討によって稲作の伝来を見るかそれ以前の伝来とするかは興味がある。仮に後者のようであれば、縄文時代に稲作が行われ始めたかもしれない。縄文時代に稲作が試みられ、寒冷の地で失敗し、温かい南へ縄文人が南下したという考えがあってもいいかもしれない。

 

陶芸を少しでもやったものなら、縄文土器のように縄で文様をつけ、素焼きのように釉薬をかけずに焼成するか、釉薬をかけて焼成するかの二通りの選択がある。チンピラ親父は、当初、釉薬を付けて焼成することを行っていたが、むしろ、釉薬をかけないでいわゆる自然釉とか灰釉と呼ばれる焼き締めが好きになった。

 

だから、土器の焼成形態で縄文式や弥生式といった分類をしてはならないのかもしれないと考えている。やはり、炭素測定などより信憑性のある調査をしていかなければならないに違いない。

 

先日、発掘調査に終止符がついた佐賀県の吉野ヶ里遺跡も青森県の三内丸山遺跡もどことなく似ていると思うのはチンピラ親父だけであろうか。

 

今まで常識とされている情報は、ある特定の条件が付いている。学校教育で欠けているのは、それが本当かどうかということを教えない。反日教育などそれがいい例である。世界の教育者はそれが本当かどうか疑問を持たせる教育をすべきではないだろうか。歳を取ってから歴史や科学に興味をもっても遅いが、こういう記事を読むとワクワクする。

 

例示の日本地図の本州以南は弥生人しかいないような図だが、北東北は蝦夷でありアイヌが存在していたことをお忘れなく。

 

DNA採取によるゲノム解析でアイヌと沖縄は縄文型とされたようだが、これからも研究に力を入れ日本人の変遷を明らかにしてもらいたいものだ。

 


 

【埋甕】・・・原始共産社会への回帰・現代の鬼婆達

この事件に関してどこの社の記事を読んでも理解できない。要は人を殺して遺体をドラム缶に入れて遺棄したというのが筋で、その数が多かったということだろう。

 

チンピラ親父がこの事件の報道に接してまず最初に思ったのは、古代中国の埋葬方式であった。土器棺、石棺、木棺、甕(かめ)棺と種類がある。

 

中国の棺の変遷は長江流域と黄河流域で若干異なる。中でも長江中流域の甕棺は長江中流域にしか分布していないようだ。

 

 

特に、幼児や子供が亡くなった場合は、日常使用していた土器類を棺に転用し、住居の出入り口等に埋葬したという。これは、幼い子供が祖霊の世界に行くことができず再び母親の胎内に戻って生まれ変わるという観念によるものとされている。

 

縄文時代の日本列島でも幼児の遺体を土器棺に入れ住居の出入り口に埋めるという埋甕の風習があった。九州福岡で多く見られる。

 

東北地方の一部にも同様の風習があり、家の根に甕棺に蓋をしている。

 

チンピラ親父は青森の「ねぷた」や「ねぶた」は「根蓋」であり、死者を祀るお祭りだと思っている。

 

それ故この事件でドラム缶に入れて住居の床下に埋めるという行動は異常行動でもなんでもなく、原始的な風習が蘇っただけではないのかと思ったのである。

 

そして、他人の財産を食い潰すといった行動は現代日本の社会からは想像ができないが、原始共産社会であれば個の所有という概念がない。事件に関わったグループはそういった原始共産社会へ回帰したのではないかと思ったのである。

 

最近のニュースで人肉を食べるという記事が流れたが、現代人からすれば野蛮で信じられないことある。しかし、実際、ほんの少し昔の記述に関する書を読めば奇異ではあるが存在するのだ。近いところで、八戸藩の飢饉のさい農民が人肉を食べていたとする史実があったことから察すれば、日本でも近代社会になる前の時代には人肉を食べる者たちがいた事実は否定できない。そしてそれはずっと昔からあったことに違いない。それが鬼婆伝説なりで後世に伝えられているのではないかと怪しんでいる。

 

どうも最近日本は原始共産社会への回帰し始めているような気がしてならない。現代の鬼婆達が表面に出てきた事件であるが、一例があることはもっと多くの事例が存在する可能性があるかもしれない。

 

現代社会の近代化の歪の中から鬼婆たちは登場している。

 


 

 

【反逆】・・・中国と日本

昨日広東の企業幹部が「尖閣諸島は日本領土」、中国ツイッターで発言、人民日報記事など証拠挙げ、賛同広がる 2012.8.25 01:14 という記事が産経より配信された。

 

チンピラ親父に以前コメントを寄せてくれた中国人の彼女ではないかと思いエントリー。

 

とりあえず、似たようなコメントがあったことだけはお知らせした。あまり詳しくは書かなかった。中国の民主化運動の邪魔になってはいけないと考えたからである。

 

興味ある方は2010年9月から10月のコメントを見ていただきたい。

 

チンピラ親父がブログをはじめて間もないころ戴いたコメントで、それに対するこちらのコメントも最近書いているブログの内容となんらブレはない。

 

中国の民主化運動が盛んになり、共産主義社会から自由主義社会になり、覇権主義を放棄すればアジアは平和になるということだけである。

 


 

結局、共産主義では一国をまとめることは出来ないし、民衆が不幸になるだけである。

 

いまだに、日本にも共産党があり、社民党がある。旧社会党の分派が民主党にもおり、共産主義なり社会主義者が跋扈している日本もまだまだ不安定な国家だ。

 

従軍慰安婦問題の火付け役が社民党福島瑞穂党首というブログが立ってから久しいが、その本人が追求されることなく、有耶無耶になっている。当の本人は飲み屋で反原発をぶち上げているというから、チンコ神輿に乗った馬鹿女の精神構造と大して変わらぬと思うのはチンピラ親父だけだろうか。

 

国内では、反原発・脱原発・原発再稼動反対の運動が、市民によるデモとして取り上げられていたが、裏で糸を引いているのが左翼というのも分かったところ。プロレタリア文化革命の話を持ち出すまでもなく、貧乏になったことを他人のせいにして、金をせびる似非正義を信奉するカルトに日本を潰されてたまるか。

 

中国が共産主義から民主化運動を進めるようとする中、日本の民主主義社会が、一握りの左翼政治家などによって共産主義化、社会主義化しようとしている流れは時代への反逆でしかない。

 


 

日本国民が安心して暮らせる社会は少なくとも日本国憲法では担保されていない。憲法の改廃内容を衆議院解散後の選挙の目安とすべきではなかろうか。

 


 

【万省】・・・チンピラ親父用語辞典

チンピラ親父用語辞典

 

「万省」

 

読み:マンセー

 

意味:よろずのことを省みること。すべてを反省すること。

 

万省!万省!万省!

 

   今の世の中に必要な言葉に違いない。

 

世を省みることもない日本の政治姿勢は慢性になっている。

 

万省を促す。

 


用例

 

韓国も北朝鮮もオリンピックでは万省しているようだ。

 

マンセー!マンセー!マンセー!

 

万省!万省!万省!

 

竹島問題を万省しているに違いない。

 

 


コメント 


 

一寸過激でしたかね。暑いから、こういうのもいいかと思いまして。

 

真似というのは技術の習得には欠くことができないものです。品格ある言葉で言えば研究でしょうか。西田三郎さんの色文字にsonoraone-3さんやゆさをぢさんのセンタリング表記を一寸真似して見ました。

 

さっぱり上達しない駄文ですが相棒が増えてへたくそな写真がこれからたくさん登場します。ご愛読のほどよろしくお願いします。

 

ここ2ヶ月iZaの研究をいろいろさせていただきました。チンピラ親父の数々の実験でiZa編集スタッフにはくそ暑いのに多大なご苦労をおかけしたところです。チンピラ親父万省しつつ、この場をお借りしてお詫申し上げるところです。

 

今後とも自由奔放にはみ出すことがある奇人変人チンピラ親父ではありますが以後引き続きよろしくお願い申しあげます。

 

                             チンピラ親父 拝


【虐め】・・・マクロ的視野での考察

「いじめ」の原点は日本人の生活文化にしっかり根を張っている。

 

簡単な例示は『出る杭は打たれる』という諺が示している。

 

「いじめ」とは根本的に日本の村社会を維持してきた「規範」の維持行為の一形態であり、村社会の構成員が「規範」の枠からはみ出たときに普通に起こる現象である。

 

「出る杭は打たれる」形で村社会を維持しようとするところに出発点がある。

 

現代社会では、生まれてから死ぬまで同じ村で生活することはない。次々と新しい村へ身を移す。それ故、新しい規範に縛られる。その規範からはみ出れば新しい村の規範の維持という作用によりいじめの対象となりうる。

 

「いじめ」はなくならない。なくならないものをなくす努力は無駄な論議は永遠に続くに違いない。

 

むしろ「いじめ」の存在は今後も続くということを前提に、村の所属する上位階層の規範に下位階層の村の規範の制約が求められる。しかし、民主主義社会では、その規範が容易に変更されるという問題がある。

 

戦後作られた日本国憲法は「平等」という名のもとに民主主義を取り入れたが、村の規範をいつでも転覆することができるものであり、安定した村の集合体である上位階層の村である国の規範が不安定となっている。

 

いじめの当事者の所属する村の規範が揺らいでいるのは明確だ。それは、国の規範が揺らいでいるからだ。

 

恐らく親に村社会で生活するための規範が備わっていなかったのであろう。子供がその規範を知る由はない。自由平等の民主主義社会の規範は声の大きな者の価値でいつでも崩壊する欠点がある。

 


 

 

大日本帝国憲法「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とされている。少なくとも村社会の規範が異なるものであっても上位規範は天皇の統治によって統一される。

 

村社会における「いじめ」の存在は消滅することはないが、陰湿なものはその多くが大きな規範のもとに激減するに違いない。

 

民主党政権となって、戦後の日本社会の問題が噴出し、問題提起をした。しかし、民主党にはその社会問題を解決する事はできない。戦後の日本国憲法の規範では解決しえない問題だからだ。

 

それ故に新しい憲法改正が必要なのだろう。

 


 

上位規範たる「天皇による統治」が主となった新しい憲法ができるまでは、とりあえず「郷に入っては郷に従え」「出る杭を打つ人間にはなるな」といった消極的な規範を一人ずつ持つしかないのかもしれない。

 


 

【夏祭】・・・「さんさ踊り」は「喜びの踊り」

盛岡さんさ踊り初日、踊りを見に行ってきた。午後6時スタート。



 




「盛岡さんさ踊り」公式ページには由来を次のように書いている。

 

『藩政時代から受け継がれてきたさんさ踊りの起源は、三ツ石伝説に由来しています。

その昔、南部盛岡城下に羅刹鬼(らせつき)という鬼が現れ、悪さをしてあばれておりました。困り果てた里人たちは、三ツ石神社に悪鬼の退治を祈願しました。

神様はその願いを聞き入れて悪鬼たちをとらえ、二度と悪さをしないよう誓いの証として境内の大きな三ツ石に鬼の手形を押させました(これが岩手の名の由来だと言われています)

鬼の退散を喜んだ人たちは、三ツ石のまわりをさんささんさと踊り回ったのが「さんさ踊り」の始まりだと言われています。』

 


チンピラ親父は古代ヘブル語を登場させ考えた。

 

宮城県の民謡「さんさ時雨」という民謡がある。「さんさしぐれか、かやののあめか・・・」

 

古代へブル語で「さんさ」は「喜ぶ」で「しぐれ」は「救い」とされるという解釈がある。それ故、「さんさしぐれ」は「救いを喜ぶ」という意味になる。

 

「さんさ」が「喜ぶ」という意味なら「さんさ踊り」は「喜びの踊り」ということになる。

 

鬼の退散を喜んだ踊りであり、すんなり理解できる。しかし、その鬼とは誰なのかは分からない。

 


 

公式ページでは「藩政時代から受け継がれてきた・・・」とあるが、正確には「藩政時代にはすでに受け継がれていた・・・」のではないのかと怪しむ。そして、「その昔、南部盛岡城下に羅刹鬼という鬼が現れ・・・」というが、それなら盛岡藩南部氏の居城があった時代ということになる。盛岡城は南部信直が1598年に築城したとされているから、鬼の登場はそれ以後となる。そんな400年前の話なら書物に残っているはずだ。しかし、ないのである。

 

東北の祭りを見ていくと川守田英二氏の古代ヘブル語(ヘブライ語)の痕跡の研究は有力に違いない。

 

チンピラ親父は坂上田村麻呂がイスラエルの10支族の末裔だと勝手に思っている。そして、東北に残る鬼伝説は蝦夷武闘派のリーダーのことではないかと考える。蝦夷というとみな同じ種族と考えがちであるが、多種族が東北地方に住み着いており、その中に穏健派蝦夷とされる種族と、武闘派蝦夷とされる種族が混在し、穏健派蝦夷を力で武闘派が抑え込んでいたということは当然考えられる。

 

だからこそ、坂上田村麻呂等の蝦夷征伐で武闘派蝦夷の討伐が行われた際、穏健派蝦夷に受け入れられたのではないだろうか。宮城では「救いを喜び」、岩手では鬼(武闘派蝦夷)の成敗で「喜び踊る」ことになったに違いない。

 

東北の祭りや民謡には古代ヘブル語を登場させると、岩手だけでなく、青森も宮城も川守田英二氏の論で説明がつく。そして、同時代の蝦夷の中の種族に古代ヘブル語を話すことのできるものがいたからこそ現代にその痕跡を残しているのではないだろうか。

 

盛岡さんさ踊り」は「喜びの踊り」に違いない。 


 

【記憶】・・・ドッコイショ な、んだべ

 

日本人の祖先は、中国人、朝鮮人、アイヌだというものがいる。

 

しかし、東北の津軽地方で今も使われる「わ」(私)「な」(汝、あなた)などの言葉は古代へブル語だというものがいた。

 

東北人はこのほかに「んだ」「んだっぺ」「んだっちゃ」「んだっきゃ」という言葉を今もなお使用している。この「ン」から始まる言語はアフリカ系言語に存在する。

 

誰もが知っている例として珈琲の「キリマンジャロ」がある。スワヒリ語で「キリマ・ンジャロ」(丘・輝く⇒輝く丘と云う意味)である。

 

アフリカから中近東を経由したときに「わ(我)」「な(汝)」が付加されたに違いない。

 

「ン」から始まる単語は日本語の国語辞典には掲載されていない。

 

チンピラ親父は日本人の祖先の一部、特に縄文人は極東のアジアの部族ではなく中近東やアフリカなど中国大陸のはるか西から来た部族ではないかと怪しんでいる。

 

「な、んだ べー」(あなた、()のとおり, でしょう)

 

「な、んだ、か、わかんねー」(あなた(そ)のとおり、か、わから ない)(みんな そうだろう)

 

中国大陸の遥か西から来た部族の言語は、中国系部族によって「何だべ」「何だかわかんねー」というように「何」という漢字で封印されたのではないかと考えている。「何」に限らずこの他にも封印された言葉がたくさんあるに違いない。

 


さて、過日盛岡市で東北復興を祈って六魂祭が行われた。また、日を改め一部福島でもねぶたや竿灯が行われた。山車を動かしたときの囃子言葉こそ中華系部族によって封印された言語の解放だったのではないかと怪しんでいる。

 

ねぶた 「ラッセラー、ラッセラー」(勝利に歓喜しているから!)

 

「ドッコイショー ドッコイショー ドッコイショッショ ドッコイショ、オエタサー オエタサー、ネッコツイタ オエタサ」(ドッコイショ=神の助けによって頑張る)

 

今回は登場しなかった弘前ねぷたは「「ヤーヤドォ~ ヤーヤドォ~!」 (さっさと敵の陣地に向わなければいけません!)

 

五所川原の立佞武多 「ヤテマレ ヤッテマレ~!」 (敵だぁ! 敵をやっつけろぉ!)

 

封印された言語の解放が人々の遺伝子の記憶からパワーを呼び醒ます力に変換しているのだろう。

 

福島原発事故終息のためにもしばらく東北の祭りが必要に違いない。

 

「どっこいしょー」「ラッセラー」

 

「な、んだ、べー」

 


 

 

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