japanshielderの倉庫

溶けかかった脳みそからヒラメキを搾り出した過去の頁

世の中の常識は非常識という偏見こそ人生を楽しく生きるための糧である

日本

【ありがとう】

とうとう平成25年も12月31日となってしまった。一年を振り替える最後の日である。

 

まず感謝すべきは、今もなお尖閣諸島問題で領海警備をされている海上保安庁の職員の皆さんと日本の領空領海領土を守り、他国への支援もされている自衛隊の皆さんだろう。

 

今年一年間ありがとう。

 

近隣国の妬みで平和な日本が乱されようとするなか平和が維持されたのは目に見えぬところで働かれている方々のお蔭であることは間違いない。

 

前回エントリーで塩釜の中卸市場で本マグロをゲットした話しに触れたが、マグロを捌いていた女性は被災した塩釜港の女性の仲買人だった。一生懸命生きている人間は一種独特のオーラを発している。そういったオーラをおすそおすそ分けしていただき、自らのオーラをパワーアップする。そして自らのオーラもだれかに分けられていくものだと信じている。

 

東日本大震災からもうすぐ3年になろうとしている。復興の形は目に見えないが多くの人々がオーラを分かち合いながら生きてきたのは事実だろう。

 

人生はお金がすべてのように人はいつしか学び行動しているが恐らく誤りであるに違いない。人生はオーラパワーの授受関係でしかないに違いない。

 

「授受」とは授けることと受けることである。オーラパワーの許容量には個体差があるはずだ。だから、受け取り放なしではパンクしてしまう。自分の持っているオーラを他人に分け与えてこそ、再びオーラを受け入れることができる。

 

例えば許容量が100の人間が30のオーラを出せば、30のオーラが入る。その人が再び60のオーラを出せば60のオーラが入る。オーラの許容量は変わりないのに60のオーラが入ってくれば幸せに感じるに違いない。オーラの授受が頻繁になれば、もともと持っていた許容量の範囲も柔軟になり、最初100だった許容量は120になり、逆にオーラの出し入れが少ない人は許容量が少なくなっていくのかもしれない。

 

オーラの許容量には個体差がある。しかし、オーラの授受の頻度によって大きくも小さくもなるものなのだろう。宗教をはじめ先人が残してくれた知恵はそんなことを語っているのではないかと怪しんでいる。

 

「神は我と共にあります」・・・神とはオーラのことではなかったのか。

 

「言葉は神である」・・・オーラを制御するのは「言葉」ではないのか。

 

新年はオーラパワーをいただけるよう自己のオーラをまずは放出せねばなるまい。

 


 

イザブログも最後となりました。イザブログの先輩諸兄、関係者の皆様のオーラパワーをたくさん戴き感謝してイザブログの幕を降ろさせていただきます。

 

ありがとうございました。

 


 

【正月への心のしつらえ】

昨年は義理の父母の体調がすぐれず妻が実家の手伝いに行ったため、子供と2人での正月。お節も自分で作る羽目に陥った。

 

今年は、妻と昨日から正月の買い物。いつも買い物に行っているスーパーは正月が近づいて商品の値段が一気に跳ね上がっていた。先週まで1個98円のレタスは250円になり、きゅうりも4本でこれまた250円。刺身類もメバチマグロが150g程度で1000円を超えている。妻と相談して明日塩釜の市場に買いに行こうと話しがまとまり、生もの以外を仕込んで終わった。

 

そして、今日は塩釜市の仲卸市場で魚類を買い込んできた。まずは数の子1000円也、筋子1000円也、刺身用生えび10尾1000円也。案の定、値段は破格であった。

 

本マグロ350gくらいだろうか4000円の値札が付いていた。一寸高い。その脇でお姉さんが本マグロをさばいている。今捌いているのはお客からの注文でしばらくかかるというので、市場内を半周して戻ってきたらまだ捌いている。妻が横から「欲しいんですが」と声を掛けたら、「いいよ」の返事。腹から尻尾のちょうど中間辺りをゲット。350gの切り身を1700円だったので思わず2つ注文。他にミンク鯨のブロック、汐うに1瓶、その他含めて合計12000円也。

 

大トロ混じりの本マグロが3400円。当たらない年末ジャンボ宝くじより大満足の買い物であった。

 

震災前はお節を1人前10000円も出して取り寄せていたが、見栄えだけよくて中味がたいしたことがない。そこで、昔に戻ってひと手間かけようというのが昨年あたりからはじめた我が家の正月。

 

 

先日数年ぶりに庭木の手入れをした。庭木の枯葉が堆積して腐葉土になり、庭の木々が生い茂りいつの間にか松の木も背が高くなっていた。

 

松の枝をいつもはスーパーなどで買ってくるのだが、今回の正月用の松は庭の松の木を使うことにしていたので、今日若い枝を鋸で切った。松の木もちょうど年末の散髪である。

 

 

これで新年正月の準備の材料は揃った。明日から正月のしつらえをはじめる。

 

火鉢で炭を熾し湯を沸かし、和服に着替えて酒を飲む。正月だけでも昔の日本人のような生活をしたい。

 

昔といっても、いつの時代まで遡るかが問題だが、中華人民共和国や大韓民国などない時代であることは確かだ。もともとなかった国があるのが不思議で、もうすぐ散ろうとしている。今年はなかったも同然の夢まぼろしの国に振り回され過ぎた。

 

和洋折衷の明治時代あたりがいいのかもしれない。新しい息吹の音を聞きながら2014年の日本が平穏無事であることを祈り拝み念じる正月としたいものだ。

 

【IRIB接続復活】中国メディア、日本への報復措置を要請 ・・・「言葉は神である」

日本の安倍総理大臣の靖国神社参拝を受け、中国の英字新聞グローバルタイムズが「中国はこの日本の措置に対する報復措置を講じるべきだ」としました。

 

 

グローバルタイムズは、中国の王外務大臣が日本首相の靖国訪問に抗議したことについて触れ、「人々はこの意味のない抗議にうんざりしている」としました。

安倍首相は、2006年以来、この神社を参拝した初めての首相となります。

靖国神社は1896年、日本の戦没者を祀るために建てられました。

中国共産党機関紙系の英字新聞も、安倍首相と、彼と共に靖国を訪問した閣僚や代表の名前をブラックリストに入れるよう求めました。

また別の英字新聞・チャイナデイリーも、安倍首相の靖国参拝は耐えることのできない侮辱だとし、「中国の回答は外交的な対応に限られるべきではない」としました。

この新聞は、「国際社会や中国にとって、真剣に日本との関係を見直す時期が来ている」と強調しました。

安倍首相は、首相就任1周年にあたる26日、靖国神社を参拝しました。<引用 iran Japanese Radio


米国の報道管制が解かれたのか、接続ができなくなっていたIRIBに接続ができた。

 

安倍首相の靖国参拝を正しく伝えたのは国内では産経だが、IRIBもまた正しい記事を報道していたのである。

 

「靖国神社は1896年、日本の戦没者を祀るために建てられました。」とあり、1896年以前の戦没者を祀っていることを伝えている。

 

事実「靖国神社」には、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされている。

 

これは、中華人民共和国、大韓民国の誕生以前から存在する神社であり、「平和な国家を建設する」という明治天皇の意思をも捻じ曲げ歴史認識を無視する中国、韓国の行動こそ問題であり、今回の安倍総理の靖国参拝を別の角度で「失望」と表現した米国も問題なのである。

 

嘘偽りの多い報道から正しい報道を見つけ出すのは困難ではあるが、嘘偽りの報道に踊らされて一喜一憂していてはなるまい。時間の無駄である。

 


 

日本人の使命は「平和な国家を建設する」ことなのである。

 

昭和天皇の玉音放送でのお言葉の結語は次のとおりとなっている。

 

朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ」
 

口語訳を引用すれば、

「私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。
 ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
 あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。」となる。

現在の我々日本人が忘れかけているこの言葉こそ、日本国民の平穏無事、世界繁栄の喜びを共有する理念となる指針でなければならない。

 

「言葉は神である」「神はわれと共にあります」であり、この「日本国民の平穏無事、世界繁栄の喜びを共有する理念」を日本人が心に刻み行動することではあるまいか。

 

いかなる宗教においても正しい祈り方(拝み方、念じ方)がある。「偶像を拝してはならない」とするのは「偶像=形式」のことである。形式だけでは何の変化も起こらないからである。「正しい理念と正しい言葉で自らに対して念じよ」それが本来の姿なのである。

 

靖国神社参拝は総理自らに対し「日本国の平穏無事、世界繁栄」を祈念したものであると思っている。もし、安倍総理の拝み方に自ら不足があると考えるならば何度でも靖国神社を参拝すれば良いのである。

 

 

【あなたは洗脳されていないか】・・・B52防空識別圏飛行

中国が防空識別圏を設定してから1週間になる。全日空や日航が中国に飛行計画書を提出したと報道されあわただし一週間が過ぎた。そんな中で話題の防空識別圏を米軍B52が2機飛行したと報道され、「さすが米軍」と評された。そして、「いやいや米軍のB52の飛行前に空自のF15が飛行している」とブログが熱くなっていた。

 

中国のブロガーたちも「防空識別圏はただ外国の飛行機が飛ぶのを見ているだけの「識別」ではないのか」と揶揄したという。あわてた中国は「Su30とJ11でスクランブルをかけ米軍機は哨戒機、電子偵察機の2機だと説明。26日に識別圏内を飛行した米軍のB52戦略爆撃機は含まれていない。自衛隊機はF15戦闘機、空中警戒管制機(AWACS)、哨戒機の計10機だ」とした。

 

ところで「米軍B52が防空識別圏を飛行した理由は何か」を考えてみた。まず、シリア軍事介入ができなかった米国の「世界の警察」という失われた矜持の挽回が根底にないだろうか。次に元諜報員スノーデン氏の盗聴暴露で日本を含む欧米からの信用失墜がある。そして、日米安保と膠着した米軍普天間基地問題がある。米軍が中国の設定した防空識別圏を飛行するのは汚名挽回を含めた課題解決への一石三鳥の投石ではなかったのか。

 

しかし、米軍の動きは怪しい。今月はじめ「欲を出したらきりがない」で触れたが『今世界の政治で蠢いているのは各国家の政府ではないかもしれない。明らかに国家とは別物の何かが国家の名を使って世界を動かしている。マスコミの偏向報道=情報操作は彼らが行っているがそれは彼らの行動の一分野に過ぎないのだろう。旧態依然として、「縄張り」「飯の種」「金づる」の為に様々な闘争が行われているのが事実である。』とすれば、米国と中国の一部の者が結託して防空識別圏を設定した疑いもある。

 

中国が尖閣の領空を含めた防空識別圏を設定し、米軍B52が飛行する。日本人は偏向報道に洗脳されているから米軍に拍手喝さいをして終わるはずだった。ところが、空自のF15がその前に飛行していた情報が漏れた。(日本国内では秘密保護法案が議論されているが結局こういった情報漏れが国家戦略?の障害になると判断しているのだろう。)この情報漏れで「米軍のB52拍手喝さい」はなりを潜めた。

 

反対にこの話しをもみ消すために中国が「26日に識別圏内を飛行した米軍のB52戦略爆撃機は含まれていない。」としたのではないかと怪しんだ。

 

国家としてではなく別の何者かが日米中で暗躍しているような気がしてならない。偏向報道システムは日米中ですでに完成しているのだろう。スマホをはじめとする携帯端末だけが日本人を洗脳する道具ではない。定番TVも新聞も中高年を対象に恣意的な情報を垂れ流す為に相変わらず使われている。思考能力の低下したゾンビが増殖しているのは確かだ。

 

「日本人を洗脳せよ」と命じている何者かといずれ戦わねばならない。それは決して近未来の話しではなく、現実の問題として認識しておく必要がある。「日本人が洗脳された豚」になる前に常識は非常識であるに違いないと怪しみながら、非常識の中から真実を見つけ出す努力をすることが重要になるに違いない。

 

【天皇】・・・日本に生まれてよかった

最近、縄文時代はどんな生活だったかと、歴史を振り返って、今週は奈良、平安、鎌倉、室町時代あたりまでの歴史の本を大雑多に振り返っている。

 天皇家がやはり日本の礎を築いたといっても過言ではない。

しかし、鎌倉、室町時代に進むにつれて、現在の政治を垣間見るようでもある。政治家や官僚が大手を振って権力闘争をしているのは今も昔も同じかもしれない。

 荘園制度で今の税金となる租(米)を収めていた時代でさえ、貴族に手を回して上手いことやろうとする輩がいたのも事実。制度をころころ都合のいいように変えていた。

 天皇家も意外と貴族や武士の利害関係でどろどろとしたものがある。しかし、苦難の中、天皇家が現在まで存続してきたことは喜ぶべきことだ。

 中国や韓国がチンギス・ハーン率いるモンゴル帝国に侵略され国が滅んだ中、日本は二度にわたる元寇さえも乗り切り侵略されなかった。恐らく、この時点で国家国民の考えが異なることとなったのだろう。

 今の中国・韓国・北朝鮮には人民が寄り添うべき誇りある歴史がないのだ。だからこそ、滅ぼされた中華思想などを持ち出したり、歴史を捏造してまでも日本から何でも奪おうとするのだ。単なる嫉みなのである。

 歴史を1000年までしか遡れない韓国はお笑い物である。2000年前へ遡っても脈々と天皇家の血が息づく国家は日本である。

 最近は政治の表舞台には出てこない天皇家ではあるが、東日本大震災では被災地を訪問され国民に癒しのパワーを与えられている。日本人に生まれてよかったと思う。だからこそ、「国を守り、国を発展させたい」そんな気持ちになるのだろう。今年は皇紀2673年。歴史ある日本万々歳。                            

【雛祭】・・・もう3月か・・・待てよ・・・これは

先週の日曜日は雪で高速道路が通行止めだった。昨日は気温こそ下がらなかったが、仙台も雪が道路を舐めていた。一転今日の日曜日は風もなく穏やかだった。

 

朝パソコンでニュースを見ていたら秋田新幹線が脱線したという記事が載っていた。乗客にけが人がなかった。さすが、日本の新幹線は中国とは違って安全のようだ。

 

いつもの寄り合いがあって3時まで潰れ盛岡に戻って来た。

 

今日は古川IC手前で、白鳥や他の渡り鳥が編隊を組んで相当数飛んでいるのを見た。伊豆沼から飛んできたのだろうか。写真に収めようにも運転中で手が離せなかった。

 

今日はやはり疲れたのか眠気を催したので、金成PAで休憩。ここでは「味よし」の仙台辛味噌ラーメンが食べられる。ただし、仙台の味よしではレタスが入っているが、ここしばらくレタスが高騰しているのかキャベツが入っている。

 

番号を呼び出されたらラーメンと一緒に「ひなあられ」のオマケがついていた。

 

 

いつの間にか3月3日になっていた。子供が小さいときはひな人形を飾ったが、中学生でお終い。今は小さな子供がいる親戚の家を廻り歩いている。

 


 

ところで、ひな人形についてちょっと考えるところがある。

 

 

上の写真はひな人形。そして、下が第二次安倍内閣の写真。

 

 

チンピラ親父が気になったのはまず緋毛氈(ひもうせん)のことだ。ひな人形が置かれている緋毛氈は敷物であるが、本来動物の毛を絡ませてフェルト化したものだ。これを敷いているひな人形とは、我々日本人が遊牧をしながら日本の地に辿り着いた事を忘れないために行っている祭りではないかと怪しんだ。

 

現在、緋毛氈は目出度いときに使う。逆に不幸や悲しみを表す時は濃紺の毛氈が使われている。緋毛氈とペアになる大道具は金屏風であり、濃紺の毛氈が使われるときは銀屏風となる。

 


 

余談が長くなった。ひな人形は天皇陛下と皇后様。以下女官などの配置を象徴している。

 

五人囃子は謡(うたい)、笛(ふえ)、鼓(つづみ)、大鼓(おおかわ)、太鼓(たいこ)で、能のお囃子になっている。五人囃子の編成を唐楽の影響だというものがいるが、チンピラ親父はそう思わない。アフリカや中東ですでにあった太鼓が原型で変化したものだと思っている。古の人々は太鼓のリズムに合わせて舞ったのだろう。

 

ロックバンドのドラムは胴についているネジを締めることで皮を強く張り、音程を調律する。これは締め太鼓や鼓の紐に相当する。面倒だからネジが発明されてから西洋ではネジで調律しているだけに違いない。

 

楽器はアフリカや中東の楽器と見てまず間違いない。日本人のルーツはアフリカや中東にあるに違いない。

 

闘いながら部族を移動してきた。戦いで部族の数は少なくなる。子孫を絶やさないようにするには女性をいたわらねばならない。そんな女性のための休日が3月3日の雛祭ではないのか。

 

サトウハチロウが「うれしいひなまつり」などと作詞してヒットしてしまったから、日本人の旧い歴史が見えなくなったのだ。古の日本人のルーツを忘れないようにしたのが雛祭であると大いに怪しんだ3月3日であった。

 


 

 

 

【超人】・・・行商ゴヨさん店じまい

平成24年12月21日岩手日報朝刊にこんな記事が掲載された。

 


いつも見かけている「おばんつぁん」が94歳と聞いて驚いた。

 

そこで、昼休みに何かめぼしいものはないかと立ち寄った。

 

 


いつもなら、台の上の漬物などが残っているのだが、新聞報道もあって昼前に完売。

 

ご覧のとおり木村ゴヨさんより若い女性たちがゴヨさんを囲んで騒いでいた。

 

盛岡も昨日は氷点下6.6度まで冷え込んで、21日の昼の気温は1度前後の露天での厳しい商いである。

 

木村ゴヨさんは病気などしないのだろうか。94歳で現役。

 

社会保障にどっぷりと浸かっている者たちには理解できないことだろう。

 

日本人が忘れかけた生き方を見たので1枚撮らせていただいた。

 

 

 


  

 本当に95歳なのだろうか。原稿を書きながら写真を見ていたら中東の人に見えてきた。

 


 

【王国】・・・聖書の民ではないのか

石原氏の太陽の党が3日で維新と併合したが、石原氏の太陽の党に集まった戦力たりうる人材が不足していたということが原因だろう。思想的に似ているというよりもベースとなる論理展開が石原氏に近いということで維新と一緒になったのではないかと怪しんでいる。

 

橋下氏の言動にはいささかいただけない部分があるが、これまでの活動で「日本をどうにかしたい」と考える者を集めていることは事実だろう。まだ、方向性にぶれがあるものの党としての方向性の精査が進めば、石原氏の思想と似たようなものになるだろう。

 

自民党の安倍総裁の話は明確に第三極と呼ばれる烏合集団政党とは異なっている。現在必要な軍隊を明確にするということ。そのためにも憲法から改正しようとしている。現実的に求められる政策を提示している。ただ、自民党の問題点は過去において米国追随型の政治を行ってきたことである。この部分をどうしていくかについてはまだ明確にはされていない。

 

安保条約で米国の核の傘下の中に我国がある以上、急な方向変換はできないだろうが、米国追随型政治から遠のいた独立国としての矜持を保ちながら行動できるかが問題で、米国がアシュケナジーユダヤ人の裏社会に操られているといったことを踏まえた外交が要求される。

 

自民党の古参議員が日本維新の会に終結した者たちと同様の熱い政治意識を持っている者がどのくらいいるのか心配である。

 

公明党については日本の大きな変化を求めようとしてない。よく言えば慎重なのだろうが、悪く言えば党を縮小しないよう党利を見据えた行動と写る。しかし、政策についての小さな改革案を積み上げているのは他党の追随を許さない点で評価ができる。

 

今日本に必要な政治は、エゴイストたちの主張する「脱原発」ではない。世界の動向を確実に見極めた政治が要求される。中東を基点とした戦争は間もなく始まる。国民の安全・平和が「平和ボケ」エゴイストたちに歪められてきていることに目覚める時である。

 


 

先日王政復古を求めるエントリーをした。この国の君主は天皇である。

 

東日本大震災で被災地の国民を慰めたのは天皇陛下であって政治家ではなかった。それが事実だったのではないのか。そして国民の多くは平民政治家の限界を見てきたではないか。市民が国民を守り慰めることなど全くなかった。

 

日本国憲法が軍隊を閉じ込め、天皇を象徴として幽閉した。この大いなる誤りは匡べきである。

 


 

迷える子羊は羊飼いの後について行く。生贄にされるのは子羊である。牛は牛飼いについて行く。そして最後に犠牲になるのは牛である。

 

日本人は子羊であっても牛であってもならない。日本人が聖書の民であることを思い出すことから始めなければならない時ではないのか。

 

今、世界は宗教で対立している。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教、いずれも聖書の預言者とは指導者である。その指導者が異を唱えて人々の生き方が変わってきたが、人類普遍の律法は変わらないに違いない。

 

「日本の皇室はヒゼキヤ王の第一王子インマヌエルを介して、ダビデ王の永遠の王座を踏襲した世界最古の王族だ」とする説が荒唐無稽なものとは思えない。この世界最古の王族が守り貫いてきた律法が世界の宗教の歪みを元に戻す最後の方法なのかもしれない。

 

2012年12月世界にある終末論を否定し世界の平和を実現するのは日本の天皇ではないかと怪しんでいる。

 


 

今の日本人は日本を忘れている。そして、天皇陛下という君主がいるのを忘れているのではないのか。

 

軍隊ももちろん必要だが、それ以上に天皇を象徴として憲法に幽閉していることは大きな誤りに違いないと感じている。

 

政党がいくつできようがこの問題に触れない政党はやがて消滅するに違いない。「日本人が生きるための拠り所」を知らないからだ。

 


 

【視聴】・・・「ナニャト・ヤラ」

岩手県北部と青森県東半にかかる地域に「ナギャド・ヤラ」「ナニャト・ヤラ」という歌がある。川守田英二著「日本の中のユダヤ」で有名になった。

 

とりあえず視聴してみれば、それが日本の歌ではないことが理解できる。

 

http://www.youtube.com/watch?v=Au9zso_MMdE&feature=relmfu

 


 

【湯田】・・・ワッショイ、ワッショイ、セーノ、ヤー

岩手県と秋田県の県境付近で岩手県側にあるJR北上線の「ほっとゆだ駅」には温泉がある。列車の待ち時間に一寸浸かってはいかがか。

 

 

http://www.echna.ne.jp/~yudasan/hot.htm

 

 

地名の「湯田」がユダ王国を連想させる。

 

「ヤハウェ」は「ヤー」と呼ばれる記述がたまに見受けられる。もともと創造主「ヤハウェ」はみだりに呼んではいけないというので「ヤー」に訛ったかもしれない。

 

ユダ王国の人々は「ユダ」で「ヤハウェ」を信ずるから「ユダヤ」と呼ばれたのだろう。

 

そうすると日本の「ユダ」は「ヤー」がなくなりユダヤ教徒ではないかもしれない。

 


 

ところで、この地域では旧暦12月12日の夜に「湯ノ沢裸まつり」が行われる。

 

山神様の年越しの夜に山祇神社に集まった若者たちが、裸になって川に入り身を清め山の安全、豊作と無病息災を祈願するとされる祭りがある。

 

チンピラ親父はこのお祭りがユダヤ教「ハヌカ」(宮潔め祭)ではないかと怪しんでいる。

 

ハヌカはアンティオコスによりエルサレム神殿が略奪に遭いゼウス像が持ち込まれた。紀元前164年エルサレムの神殿から「ゼウス像」を取り去って、神殿を潔め、ユダヤ人の独立を勝ち取った祭りでユダヤ暦キスレブ月の25日から8日間行われるものだ。

 

その内容はマカバイ記に出ているのだが、12月12日と25日ではかなり開きがあるではないかと疑問は残るが、旧暦にはずれがあり、ユダヤ暦と日本の旧暦でも違いがあるので、誤差の範囲と解釈。

 

山神様の年越しが何故旧暦12月12日に行われるのか。旧約聖書続編「マカバイ記二」を読んでみた。

 

「マカバイと呼ばれたユダは十人ばかりで山地に逃げ込み、野の獣のような生活を同士と共に送っていた。彼は野草を糧として、あくまでも汚れに染まることがなかった。」(マカバイ記二第5章27節)

 

これは中東の話だが、湯田も同じように山の中での生活だ。

 

「神殿の清めはキスレウの月の25日に行われたが、その日はかつて異国の者たちによって神殿が汚された日であった。仮庵祭のしきたりに倣い、ユダたちは歓喜のうちに八日間を過ごしたが、つい先ごろまで、けだもの同然に山中や洞穴で、仮庵祭を過ごしていたことを思い起こした。彼等は、テュルソス、実をつけた枝、更にはしゅろの葉をかざし、御座の清めにまで導いてくださったお方に賛美の歌をささげた。またユダたちは、この日について公に提案し、人々の賛同を得て、ユダヤのすべての民はこの日を、年ごとの祭日として祝うことにした。」(マカバイ記二第10章5-8節)

 

神社神殿を清め自らも清める。エルサレム神殿が略奪に遭いゼウス像が持ち込まれたエルサレムではアンティオコスにより大量殺戮が行われたがユダと呼ばれるマカバイとその同志が神殿と都を奪還した。山神を「主」とし過去にあった神殿略奪とその奪還を忘れないようにしたのだろうか。

 

身を清める禊を行うために冷たい川に入る。そして、「ヤー」と叫ぶ。これぞ「ヤハウェ」を略した「ヤー」ではなかったのか。そうして原始ユダヤ教の教えを守っているのではないのか。

 

全国各地に伝わる「ハダカ祭り」は「ハヌカ」(宮潔め祭)が起源ではないのかとさらに怪しんでいる。

 


 

【湯ノ沢裸まつり】

http://www.youtube.com/watch?v=s_lt_TgHT3U

 

ワッショイ、ワッショイ

 

セーノ

 

ヤー

 


 

 

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