japanshielderの倉庫

溶けかかった脳みそからヒラメキを搾り出した過去の頁

世の中の常識は非常識という偏見こそ人生を楽しく生きるための糧である

生活環境

【戦闘】・・・お盆を過ぎたら

例年お盆を過ぎると、暑さもひと段落するのだが、今年は暑さが衰えない。

 

部屋の窓を開けて網戸にして扇風機をかけているのだが、小さな虫が入ってくる。パソコンと睨めっこしていて「、」を削除しようとキー操作するも消えない。よくよく見ると小さな虫だった。人差し指で押さえつけると死んでしまった。むやみな殺生はよろしくないのだが、いたしかたあるまい。

 

昨日は夜中の3時に目が覚めて、台所にコーヒーを入れにいったら、何か動いた。何処から入ってきたのか、「ピョンピョン虫」(仙台では便所こおろぎともいう)が跳ねている。すかさず、ティッシュで捕獲。こちらも死んでしまった。

 

虫が沸いたのだろうか、今度は1年ぶりにゴキブリの成虫と目が合った。こちらは、すばしこく一時は逃げられたのだが、バルカン砲よろしくアースジェットを逃げ込んだ冷蔵庫の下に噴霧。ゴキブリが次の場所へ移動したので、冷蔵庫の裏側にも噴霧。取り逃がしてしまった。

 

また、コーヒーを入れに台所に行ったら、瀕死のゴキブリを発見。かわいそうなので、成仏させてやった。

 

朝から虫を2匹も殺生した。

 

アインシュタインの予言で「もし、蜂が地球上からいなくなると、人間は4年以上は生きられない。蜂がいなくなり、そして植物がいなくなり、そして人間がいなくなる」というのがある。

 

ゴキブリやピョンピョン虫がいなくなると、人間は生きられない環境になるとかならないとかを予言してもらったほうが役に立ったに違いない。

 

ところで、アインシュタインの相対性理論を用いてゴキブリ退治を考察するに、床を徘徊するゴキブリで殺虫剤を噴霧し退治することができても、飛翔するゴキブリの場合床を徘徊する場合と同じ噴霧速度では薬剤がゴキブリまで到達しない。よって、ゴキブリの飛翔速度よりも高速に噴霧のできるものでなければ退治できない。こうしてしてみると、アースジェットなど最近の高速噴霧殺虫剤はアインシュタインの相対性理論に基づいて改良されたものではないかと考えられる。

【仕事】・・・下地づくりが大事

ずっと気になっていた障子の破れ。

 

今日は天気もよく昼から障子張り。

 

これまでは一尺位の幅の障子紙を桟の幅に合わせて切っていたが、桟の幅に合わせなくとも良い大きな幅のロール状の障子紙を買ってあったので、今回はこれを使用した。

 

やはり、もたもたしているとのりが乾いて剥がれてしまう。

 

紙の長さからすると7枚程度は張れる計算だったが、一枚失敗したので、今日は6枚張って終わり。

 

さきほど障子紙を買ってきた。

 

明日残り二枚を張る予定。

 

プラスチックの破れないという素材のものやアイロンで接着するものも売っていて便利そうであったが、後で困るに違いないと無地の障子紙を買ってきた。

 

糊はぬるま湯で薄めて使う。刷毛でサッと糊を置いてくる。これに障子紙を張ると出来上がり。次に紙をはがす時は水を含んだスポンジで桟をなぞれば紙がきれいに剥がれる。

 

障子張りは意外と簡単なのだが、障子から古い障子紙を剥がすのが大変な作業なのだ。

 

下地づくりは時間がかかるのだ。

 

いい仕事は下地づくりで決まるものと怪しんでいる。

 

【便所】・・・やっぱり恐れていることが

この記事は大便と便所の関係をきれいに書きすぎているから、チンピラ親父の独断と偏見による便所論を展開する。食事中の方は以後読むことを止めて別のページへクリックしてもらいたい。

 


 

まず、チンピラ親父は昭和30年生まれで、水洗トイレはまだ普及していなかった時代に育った。それ故、汲み取り式のトイレは10歳まで使用していた。11歳以降は和式の水洗便所となった。40歳ごろから洋式に切り替えた。といっても自ら好んで洋式は利用しなかったが、ウォシュレットが登場してからは、洋式派に完全転向した。

 

汲み取り式トイレは、5Wの薄暗い電球の下でかがんでする。下には大きなツボというかカメがあって、便が落下していくのであるが、硬軟で注意が必要である。軟の時は安心だが、硬の時は跳ね返りがあるから要注意である。心配はそれだけで、電球の明りが暗いから、最後の始末は手に持った紙の感触で上手くふき取ったことを覚えるまで繰り返すのである。

 

電気が暗いのは下が見えないようにするための配慮なのだろう。夏など何やら下で蠢いている。もちろん、ウジが湧いているのだろうが、ウジが見えるのは晴れた昼しか見えない。

 

いつぞやは人様の便所を借りた。家の外の便所は大小兼用で土に埋め込んだカメに木の板が2枚渡してあるだけだった。これだけは怖かった。体を進めると渡し板がたわむのだ。小でこの恐怖、大だったらどうしようといった代物で便器以前に問題があった。落ちやしないかとハラハラドキドキで、二度と人様の家の便所は使うまいと思った。

 

和式水洗になってからは、新たな問題が発生した。便器は綺麗なのだが、硬軟の排便で問題があった。軟の時は便器が汚れるということ。硬の時は綺麗な水と云えども跳ね返りがある。そこで考え付いたのは、トイレットペーパーを水の上に浮かばせる方法だった。見事に硬については解決した。軟については紙で便器をふき取って終わりである。

 

洋式をたびたび使うようになって、フン切れが悪くなった。これには参った。フン切れが悪くなった分、紙で肛門を刺激する回数が増えたかして、痔ろうになったのだ。

 

30代や40代は血気盛ん、アフターファイブから夜のお仕事飲み会である。8時間働いて8時間飲んでいた。これで体を壊さないわけはない。水分のとりすぎだから、便所に通う回数も半端ではなかった。

 

それがウォシュレット登場でお尻がさわやかになったのは言うまでもない。自宅も後付けのウォシュレット、今いるボロアパートの便器にも後付のウォシュレットを設置利用している。もちろん、自分で設置をした。旧式の水洗の構造は熟知している。お蔭で水タンク周りから配管に至るまで不具合があればすべて自分で直している。


 

 

ところで、便所の便器が汚れているのは最低だと思う。自分が汚したら自分で掃除すべきである。家事は主婦の仕事で便所掃除も含まれている。最近は男女共同参画事業となっている。

 

ところが今はこんなコマーシャルが流れているのに驚いた。

 

http://bob.air-nifty.com/jr/2012/04/post-15f5.html

 

ここに大きな思想的な誤りがある。ウォシュレットを世に出した老舗には感謝するが、このコマーシャルの発想は亡国論に通じているのではないかと怪しんでいる。

 

汚い仕事は他人任せで良いのか。便器が勝手に掃除する人がするのではない。結構なことではないかというように感じるのだ。便所掃除もできないような人間にこの国が守れるか。この国を汚しているのは、このコマーシャルを受け入れる国民ではないのかと怪しんでいる。

 

山男、山女はしゃがんで排便できなければどこでするつもりなのか。大地震が起きて水洗便所が使用不能となったならばどうするのだ。戦争が起きたなら山野を渡り歩かねばならない。どこでするつもりなのか。

 


 

東日本大震災では仮設トイレの殆どが汲み取り式の和式仕様であった。全ての避難所を見て回ったわけではないが、大槌町の寺の弓道場に仮説の洋式トイレがあった、宮古市では断水していない一部の避難所で洋式水洗トイレが利用できた。

 

しかし、被害のあった多くの避難所の仮設トイレは使用後に消毒剤が流れる和式であった。

 

水洗トイレの利用ができた避難所(宮古市民総合体育館)では、小学生低学年の子供たちがトイレ掃除をしていた。和式の水洗トイレと云え、綺麗に使おうという教育ができたのは素晴らしいことだ。

 


 

 

 

「エマージェンシートイレキット」は、非常時に必要なトイレアイテムをひとつにまとめた防災備蓄センターのオリジナル商品(特許出願中)。非常時にいつものトイレを安心・安全に使用するための画期的なセットだ。一枚ずつ取り出せるティッシュ方式の衛生的なトイレ袋(30回セット 1人なら6日分)の他、し尿をゼリー状に固める凝固剤ボトル、トイレットペーパー、ダイナモライト、手指消毒用除菌ジェル、女性用生理用品、ゴミ箱の7アイテムでいずれも停電・断水時のトイレ行動を考え抜いてセットされたもの。1人なら6日分、2人なら3日分を補う。7アイテムを入れたケースには余裕があるので、必要に応じてアイテムを加えれば自分の〝オリジナルキット〟になる。
災害時に限らず、断水や停電など不測の事態にもきっと役立つはずだ。


と産経netshopでは宣伝している。

 

1人なら6日分とあるが、尿をゼリー状にして袋に入れる。大はどうするのか。袋に入れれば自分も他人も臭くはないだろうが、そのビニール袋はどうなるのか。一人二人なら量も大したことがないが、何万人分の糞尿がビニール袋に入って保管されることの方が衛生的に問題があるのではないかと怪しむ。

 

糞尿は穴を掘って埋めるか、プールにでも貯めこんで発酵させる方が理にかなっている。最初は多少の臭いがするが、2週間もすれば田舎の臭いになる。

 


 

話がだいぶ横道にそれた。

 

乳児を育てるのに今は紙オムツなるものが普及している。50年前は布オシメしかなかった。オシメと言っても、綿の布を輪っか状にしたものを2枚用いる。T字にしてカバーで抑えるだけだ。

 

実はトイレに捨てて、実の付いたオシメを洗うのだ。今でこそ洗濯機があるから、

どうということはないだろうが、チンピラ親父の生まれたころはタライと洗濯板と泡の出ない石鹸しかなかった。さぞ、重労働であったに違いない。

 

それがどんどん便利になってきた。自分の口から入ったものを尻から出す。これを汚いと言っていては始まらない。子供を育てるということは糞尿まみれになるのである。そうやって育ててもらったから、親の介護もできるのだろう。親の介護とは糞尿まみれになるのだ。

 

それが嫌で、介護施設が増えたのではないかと怪しんでいる。

 


 

人が生きるためには自分の糞尿を毛嫌いせずに受け入れることだ。自分の糞尿と妥協点を見つけたなら、次は家族の糞尿の後始末だ。子を育てるとか親の面倒を見るというのは金のことではない。糞用の世話をできるかどうかだろう。手始めに便所掃除からすればいい。

 

人は糞尿を出すが、糞尿は体の中にある。いわば内と外の関係で一体なのである。どんな美人でも腹の中に糞尿があり、どんな聖人君子でも糞尿が体にある。人は往々にして外見で判断するが、体内は糞尿だらけである。

 

糞尿というから臭いまで想起するのだろうが、人の食事は生きるための栄養であり体内から加工物が排出される。その排出物こそ糞尿であり、土に帰り水、空気、太陽によって再び植物やその他の生物を繁殖させ再び食物となって人の口へ戻ってくる。地球の循環システムの一部でしかない。従って、排便を滞らせることは悪なのである。排便ができなければ死ぬしかないのである。

 

「直腸性便秘」などと医者は診断するが、親が子に生き方を教えていない証左でしかないのではないか。親の生き方考え方が誤っているのではないかと怪しむところである。

 

また、子供の排便を教育ととらえるのは一時しのぎではないかとも怪しむ。子供の環境への適応力を養うのは、学校ではなく家庭であるべきだ。半間あれば和式の便所はできる。和式便器のトイレを増設してはいかがか。それが無理なら、洋式便座の両脇に踏み台を置き、跨いで用を足せば和式便器風になる。まずは自宅でしゃがんで排便することを教えなければならないに違いない。

 

もたもたしていると「学校のトイレは全て洋式にせよ」と書いたプラカードを持ったモンスターペアレンツが文科省や厚労省前でデモをするかもしれない。

 


 

肝心要の自分の用を足せないものは社会の用も足せないに違いない。

 


 

【天気】・・・9月も中旬だというのに

例年8月のお盆を過ぎたあたりから一気に秋らしくなるのだが、今年は9月になっても30度を越す日が続いている。

 

仙台も例外ではなく一寸歩いたら汗でシャツはビショビショ、これは堪らぬとコンビニで冷水を購入。

 

用件が済んだ夕方はうれしい秋の雲を見つけた。


 

 

 


【孤軍】・・・去年の今頃は

去年の今頃は東日本大震災で壊れた家具やガラス片などを片付けていた。

 

単身赴任で盛岡にいて仙台にはほとんど戻れなかった。妻も日中働いているから、そのままにしておけと命じ、生活で使用する最低のスペースだけ片付けた。震災から半年は本棚やパソコン、趣味の道具類が散らばっていた。

 

夏休みは、復旧で壊れた家具類など1.5トントラックで市のごみ処理場へ3往復して処分をお願いした。幸い「り災証明書」を貰っていたので、処理料金は掛からずレンタカー代だけで済んだ。

 

40年も住んでいると書類や本類、雑貨類が増える。スペースを見つけて安物の書庫などに収納していた。その入れ物の書庫のほうが壊れたから、書類や本が所狭しと積み上げられ空間を占拠することとなった。少しは片付けてはいるが、生活をしていれば散らかる。結局、一進一退であまり部屋は片付いていない。

 

次の地震に備えて、大部分の家具を固定した。ホームセンターで見かける耐震用の固定器具はなるほどと思うが、価格が高い。そこで、棚を吊るときに使う逆L字型金具を使ってL字固定した。(下の写真と同じもの。本来の用途は逆L字に固定する。)


     

 


 

 

今回倒れた家具類は優先に処理。倒れなかったものでも次回の地震で倒れそうなものについては固定した。

 

不思議なもので、祖母や母が使っていた箪笥類はひとつも倒れなかった。倒れたのはガラスを配した家具類だけ。便利だとかデザインが良いといったものは地震で多く壊れた。我が家に無傷で残ったのは旧式家具だった。

 

地震国日本の伝統工芸品には耐震技術の知恵が隠されているに違いない。

 


 

今年もまだ各部屋は整理の途中である。壊れたパソコンの修理や模様替えをしただけで、先に進んでいない。とりあえず置いた本やCD、写真などが散乱している。それゆえに探しものをするとまたすぐ散らかる。

 

家族に援軍を頼むのもいいが、価値観が異なり、大事なものを捨てよと意見されることしばしばである。心の整理が付くまでは捨てることはしない。心の拠り所を修復し整理するには今しばらく孤軍奮闘するしかない。

 

 


 

 

【空調】・・・温度変化と体のダメージ

暑い夏を快適にとクーラーが登場し、オールシーズンを快適にとエアコンが登場して久しい。夏だけの機械が春夏秋冬利用できるという発想は当然の成り行きだ。

 

しかし、年中エアコンを使用していたのでは暑さ寒さという季節感に鈍感になるに違いない。

 

夏暑いからこそ夕涼みをし、行水をしたりといった文化はどこにいってしまったのか。道路に打ち水することなど見かけることもなくなった。

 

一年中一定の室温で過ごせば、外へ出たときの温度差によるストレスは体に大きなダメージを与えているに違いない。

 

うつ病は朝日にあたって体内時計をリセットすればよくなるというがそれだけではないはずだ。家の外へ出たときの気温のストレスもあるはずだ。

 

病院では患者の体の負担を考えてエアコンをがっちり利かせている。患者は体の負担が少ないから病院内ではめったに死なないが、退院して病院の外へ出ると大きなダメージを受けて死ぬものが多くなっているのではないかと怪しんでいる。

 

常識的には快適な世界であっても、健康を害する使用方法は非常識なのである。エアコンを健康のための常識としたいなら、病院から自宅までの帰路エアコンを背負って涼むがよいといいたいがそうもいかないだろう。

 

要はエアコンを年中つけるなかれと言いたいだけである。

 

気温が32℃を超えたら熱中症で死ぬものも出るだろうから、そういったときは冷やせばいい。それが快適な文化生活という非常識な生活に向かっている。節度というものが無くなるとダラシナイとしかいいようがなくなる。これが昨今の医療費財政の主因である。それゆえ野田総理の主張する「社会保障と税の一体改革」は的外れなのである。

 

世界で気温が高い赤道直下の国々の人は暑くなったら体を休めるのである。日本人は赤道直下の国ではないが仕事の効率を上げるためにエアコンを使う。快適という言葉に騙され自分の体を痛めている。日本人の常識など非常識でしかないに違いない。

 

日本人女性の長寿が世界2位になったと報道があった。もともと日本には春夏秋冬という温度変化に適応するための自然があるのにそれを利用しないで機械的にダメージを大きくした結果に違いない。当たり前のことである。

 


 

産官学での共同開発というシステムができている。

人間工学的にあるいは生物学的に妥当適切に機能するエアコン開発というものがあってもいいだろう。ストレスを軽減するため朝昼晩夜の外気温と室温の調整を行うといった研究だ。肥満を予防するための室温設定などあっていいはずだ。

 

日本人はモンゴロイドを祖先とすると主張する内科医の講演を聞いたことがある。荒野を遊牧していたころは、毎日一定の食事を執ることができなかった。食べられるときに食べる。それで皮下脂肪として蓄える能力ができたという。偏った食事が肥満の原因だというがその研究は偏っている。温度変化は食欲にも影響するから肥満にもなる。

 

日本人が健康で長生きするための基本は春夏秋冬といった温度変化を中心とする適応に関することが大事ではないかと怪しんでいる。

 

世の発明家は簡単便利の発想で発明をする。しかし、世のため人のためとならないことが多い。

 

日本の工業製品に世のため人のためという思想が浸透すれば、その製品は世界に広がるに違いない。また、健康に寄与するエアコンが開発されれば、医療費の右肩上がりを抑え下げるに違いない。

 

円高デフレで日本経済は世界経済から取り残されるという状況は事実だろう。しかし、それを打破できないのはいずれ日本人が本当に必要なもの、世界の人が必要なものとは何かを忘れ単なる物づくりをしているからではないかと非常識なチンピラ親父は考える。

 


 

【土曜】・・・カラスと健康

先週、4坪の庭の話で「虫もいない小鳥もいないのは一寸寂しい」と書いた。

 

今日は日が暮れるころ、なにやら外が騒がしい。

 

カラスの鳴き声が遠くのほうでしていたと思ったら、蛙の鳴き声が近くで聞こえる。おまけに微かではあったが犬の鳴き声も聞こえた。

 

今日は一寸嬉しい。

 

しかし、しばらく鳴き続けているから、大きな地震が来るかもしれないと心配になる。

 

静寂とは音が全くないこということではない。静かではあるが、耳を澄ませばようやく何かの音が聞こえるというものだろう。

 

人間には適度な静けさが必要に違いない。

 


 

今日はLANケーブルの配線を2階から1階へ延長した。

 

古いパソコン1台をすでにステレオに繋いでいるが、FM放送の番組もTV同様面白くない。パソコンのHDDに記録した音楽だけでも飽きる。ならばインターネットラジオが聞ける環境も欲しいということでLANケーブル配線となった。

 


 

人の頭には耳がついている。耳は音を聞くためにある。人の声だけ聞くためにあるものではないと怪しんでいる。

 

人は様々な音を聞くことで活動し、また休養するに違いない。人それぞれ好きな音というのがあるはずだ。その音を久しく聞かないと脳が休養できなくなってストレスが溜まり、病気になるに違いない。

 

医者は健康のためには食事が一番大事だというが怪しい。食事は必要であるが一番大事なものではない。栄養素は口から入り、新鮮な空気は鼻から入る。口や鼻から体内に毒物が入ったら取り去ることはできるが、目や耳から入るものは取り去ることができない。眼や耳から入った毒気のあるものは脳ミソを直接腐らせる。致命的なストレスは目と耳から入って来ると怪しんでいる。

 

逆に、致命的なストレスを解消するには目と耳から解毒するものを入れてやれば効果があるはずだ。

 

健康を守るために解毒作用のある映像や音、音楽が必要に違いない。 

  


  

カラスは害鳥のようにいわれるが、「カー、カー」という聞きなれた鳴き声もまた人の健康に役立つに違いない。

 

「たかが電気」という言葉を受け入れる「放射脳」の解毒にはカラスの鳴き声が必要に違いない。

 

http://www.youtube.com/watch?v=811FNTKLsdI

 


 

「放射脳症」・「放射脳症候群」の処方箋 

 

就寝直前複数回  耳から挿入

 

効能: 躁状態の改善

 

http://www.youtube.com/watch?v=_RE_1T1xq6s&feature=related

 


 

【劣化】・・・パッキン修理では終わらなかった

昭和47年に建てられた自宅は、平成元年に一部改築している。築後40年の木造住宅である。

 

前回、改築した部分の壁に埋め込まれた電灯スイッチ交換の話は書いた。今回は来客があって40年目の男子用トイレがついに壊れた話。

 

昨日、男子用トイレの朝顔上部についているプッシュスイッチが不具合となり、使用後に水を流したら水が止まらなくなったのだ。

 

水道関係で水が漏れるのはパッキンくらいしかないから、水道管の壁よりについている閉栓ねじをドライバーで締め付け水を止め、ピストンバルブカバーをレンチで緩めパッキンを探したが見つからない。

 

ピストンバルブを引き抜いて中を覗くとパッキンが経年劣化で変形していた。道具箱から水道用のパッキンを持ってきたが、口径が合わない。

 

諦めてホームセンターに部品を買いに行った。

 

ピストンバルブのパッキン単体は売っていなかった。結局TOTOのTHY311というピストンバルブ(T60R型用)を税込み2580円で購入した。

 

家に戻りピストンバルブを交換。プッシュスイッチを押すと水が出て一定量流れた後停止。漏水はなく修理完了。

 

それにしても、40年間動き続けたピストンバルブはすごい。

 

日本の工業製品はメンテナンスなしで40年も耐えたという証明である。

 

価格追求で同じ製品を安くは作れるだろうが、耐用年数が違うならば多少高くても長持ちする部品が結局安くなるに違いない。

 

日本の工業技術が海外に流出しているが、製品単価が安ければ良いというものではないに違いない。

 

日本の製造業は技術に誇りを持つべきだ。そして、購入者に長く使ってもらえる商品を開発し続けるべきである。購入する側も見た目の値段に騙されてはならない。

 

製造販売側と購入側の価値観がいっしょにならないと良いものは造れないに違いない。

 

 

【螻蛄】・・・久しぶりの草刈

仙台の自宅に戻ったら蒸し暑い。

 

庭を見れば鬱蒼とした木々。

 

昨年秋に家の西側のつたを成敗したが、今年はどうかと家の西側に回ってみたら、つたが再び生えてフェンスを覆っていた。

 

早速つたをぶちぶちと鋏で切り放して行く。

 

アンテナ線を伝って2階まで延びているのが2箇所あったが明日梯子を掛けて切ってやろうと思う。

 

何のつただか分からないから価値がない。これが葡萄ならワインでも作れるのだが。いろいろな葡萄を食べて種を撒くのもいいかもしれない。

 

ツタの成敗が9割終わったところで、雑草も引き抜いた。

 

ミミズは見かけなかったが螻蛄(オケラ)が何匹か這いずり回っていた。

 

螻蛄の生活環境を壊してしまったが許されよ。

 

家中の草刈を丁寧にしていたら3日はかかるに違いない。樹木の剪定も同じようなものだ。庭師に剪定をお願いしないといけないかもしれない。

 

今日は状態把握のつもりで半袖シャツで外にいたらゲリラに反撃されたが虫刺され1箇所の被害にあった。

 

蜘蛛の巣も要所要所にあって蚊を捕捉してくれるのは助かる。

 

螻蛄が土を耕し結果として植物が生育しているのかもしれない。共生循環型社会を考えるヒントではある。

 

【掃除】・・・連休の恒例行事

ここ数年5月の連休というと大掃除が恒例行事になった。普段の土日の休みは趣味の会合などで外出するため、時間のかかる障子張りや床掃除などできない。時間の余裕がやる気モードのスイッチを入れる。最近は歳をとったせいでスイッチが入るまで時間がかかる。身体も若い時のように動かない。ちょっと無理をすると腰や腕が痛くなる。これが億劫になる原因なのである。それでもチンピラ親父が大掃除を決意するには訳がある。冬場についた脂肪をそぎ落とす。この連休で汗をかいて働くと体重が3キロは絞れるのである。めざせベスト体重である。

 

先の土曜日に不具合だったトイレの電燈スイッチ交換は終わった。今日は一部屋の模様替えと台所の床掃除を行った。たまに妻が拭き掃除をしているが、ビニール床材の凸凹にこびり付いた汚れまでは取り切れていない。台所を明るくしようと壁紙や床材を白系にしたのがまずかった。年々汚れがひどくなっている。

 

漂白剤を散布すればきれいになるだろうと安易に考えていた。ところが、作業を始めても落ちないのである。モップを使ったからだろう。モップの布を外して雑巾を挟んでゴシゴシ。やはり落ちない。何かいい道具はないかと探していると、亀の子たわしを見つけた。このたわしに棒が付かないかと細めの棒を突っ込んだが入らない。良く見ると針金で丸く固定しているのに気が付いた。この針金を外すとたわしが棒状になった。これをモップに挟んでみたら幅が一寸足りないが使えそうである。

 

モップたわしでゴシゴシ。落ちる落ちる汚れが落ちる。めでたく終了。デッキブラシを使っても同じだろうが、我が家にはない。デッキブラシがあったにせよ毛が長すぎるに違いない。亀の子たわしが良いのである。若ければ腰をかがめて亀の子たわしで掃除するだけであるが、チンピラ親父は腰が痛いからモップたわしなのだ。新しい掃除道具を手に入れた。貧乏人のスポーツは大掃除である。恰好は悪いが気分は爽快であった。

 

 

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