先週、野田首相はこれまで停止させていた大飯原発の再稼働の意向ついて国民にメッセージを発した。「国民を守る視点」を何度も強調した。大きな方向転換であるが、結果として正しい選択だろう。しかし、この方向転換は消費税増税決議のための票稼ぎも含んでいるのではないかと怪しんでいる。
社会保障制度と税の一体改革と云いつつ、社会保障制度は棚上げで、増税論のみが先行している。その増税の増加率の根拠が不確かなことについては、野党を始めブロガー諸兄多数が指摘しているところである。
社会保障制度のうち基礎年金について不可解な点がある。
平成6年の国民年金法改正時に「基礎年金の国庫負担の割合については、所要財源の確保を図りつつ、二分の一を目途に引き上げを見当すること」という附帯決議に基づいて関連法案が決まってはいるが、平成16年改正法附則では「平成17年度及び平成18年度において、我が国の経済社会の動向を踏まえつつ、所要の税制上の措置を講じた上で・・・・国庫負担の割合を適切な水準へ引き上げるものとする。」となった。しかし、経済社会の動向は全く無視されたままである。
そして、この「所要の税制上の措置」として平成20年度税制改正大綱が取りまとめられた。しかし、基礎年金の国庫負担に要する財源や、社会保障制度を持続可能なものとするための安定した財源確保として、消費税をその財源に位置付けはしたが、税制の抜本改革に係る具体的な道筋は示さなかった。
現在、何が何でも増税という野田総理の発言は弱まりつつあるようにも見えるが、基礎年金の国庫負担を2分の1に引き上げる財源は2.5兆円から3兆円で、消費税増税は1%から1%弱にすぎない。何故、10%(実質5%増)としなければならないか。それは民主党の掲げる最低保障年金という御旗の実現をいまだに下ろしていないからに他ならない。
民主党が最低保障年金にこだわるのは、現在は国庫負担額2分の1でも財源さえ確保できれば国庫負担率を引き上げ最低保障年金が実現可能だと信じているからに違いない。しかし、ここで大きな矛盾を誰一人として論じないのは頭をかしげる。
説明を簡単にするため現在の年金額ではなく昭和61年の年金額を使う。
基礎年金の国庫負担が3分の1の時代を思い出して貰いたい。国は年金額の3分の1を国庫負担し、被保険者が3分の2の保険料を拠出する。保険料を40年間納付すれば、3分の1の国庫負担分と3分の2の保険料納付分が給付される仕組みである。それは、昭和61年度施行された年金額計算式で明確だ。当時の年金額は60万円である。
60万円×(保険料納付済月数+保険料免除月数×1/3)÷加入可能月数×物価スライド率だ。加入可能月数480月のうち全て免除期間ならば、60万円のうち国庫負担分の3分の1の20万円が年金額となる。逆に全額納付したならば、60万円となるが、そのうち20万円は国庫負担分。残りの40万円が保険料納入分ということになる。
それが国庫負担2分の1になったのだから、保険料を40年間免除されれば、2分の1の国庫負担分の30万円が給付される。ところが、保険料を全て納めている被保険者は3分の2の保険料を拠出しているにもかかわらず、2分の1の国庫負担分30万円と2分の1の保険料納付分30万円しか給付されない。3分の2の保険料と2分の1の差である6分の1の10万円はどこへ消えたのか。その差分が年金額に反映されるとか、或いは値上がりする定額保険料を一定に保つために充てているというのであれば判る。しかし、そういった事はない。国庫負担を2分の1に引き上げても保険料を全期間納付する者にはメリットがない。
そんな議論が全くない中で、値上がりし続ける保険料を多く納め、更に基礎年金の国庫負担の不足財源のために消費税を徴収されるという、これでは二重の税徴収と同じではないか。
現行の国民年金法の2分の1国庫負担が実質的に免除者のみが対象となっている点で憲法に抵触し、その財源を年金給付に直接関係のない子や孫からも消費税として求めるのは、「子や孫へのつけ回しをしない」といっていることと矛盾する。野田総理の弁による「子や孫へのつけ回しをしない」という言葉は、国債を発行しないというだけの話ではないのか。
いずれ社会保障のための消費税増税と言っても「新しく消える年金」では国民は納得しないに違いない。
チンピラ親父はこんなわけで、現行国民年金法も怪しいと思っている。胡散臭い最低保障年金など論外なのである。
もし、チンピラ親父の説が違うというのであればご指導を仰ぎたい。
(現在の年金の基本価格が786500円だから、131100円が不明になる計算。もっとも6分の1が消えるのは35年か 36年後で、現在は微々たる額だ。)