盛岡さんさ踊り初日、踊りを見に行ってきた。午後6時スタート。



 




「盛岡さんさ踊り」公式ページには由来を次のように書いている。

 

『藩政時代から受け継がれてきたさんさ踊りの起源は、三ツ石伝説に由来しています。

その昔、南部盛岡城下に羅刹鬼(らせつき)という鬼が現れ、悪さをしてあばれておりました。困り果てた里人たちは、三ツ石神社に悪鬼の退治を祈願しました。

神様はその願いを聞き入れて悪鬼たちをとらえ、二度と悪さをしないよう誓いの証として境内の大きな三ツ石に鬼の手形を押させました(これが岩手の名の由来だと言われています)

鬼の退散を喜んだ人たちは、三ツ石のまわりをさんささんさと踊り回ったのが「さんさ踊り」の始まりだと言われています。』

 


チンピラ親父は古代ヘブル語を登場させ考えた。

 

宮城県の民謡「さんさ時雨」という民謡がある。「さんさしぐれか、かやののあめか・・・」

 

古代へブル語で「さんさ」は「喜ぶ」で「しぐれ」は「救い」とされるという解釈がある。それ故、「さんさしぐれ」は「救いを喜ぶ」という意味になる。

 

「さんさ」が「喜ぶ」という意味なら「さんさ踊り」は「喜びの踊り」ということになる。

 

鬼の退散を喜んだ踊りであり、すんなり理解できる。しかし、その鬼とは誰なのかは分からない。

 


 

公式ページでは「藩政時代から受け継がれてきた・・・」とあるが、正確には「藩政時代にはすでに受け継がれていた・・・」のではないのかと怪しむ。そして、「その昔、南部盛岡城下に羅刹鬼という鬼が現れ・・・」というが、それなら盛岡藩南部氏の居城があった時代ということになる。盛岡城は南部信直が1598年に築城したとされているから、鬼の登場はそれ以後となる。そんな400年前の話なら書物に残っているはずだ。しかし、ないのである。

 

東北の祭りを見ていくと川守田英二氏の古代ヘブル語(ヘブライ語)の痕跡の研究は有力に違いない。

 

チンピラ親父は坂上田村麻呂がイスラエルの10支族の末裔だと勝手に思っている。そして、東北に残る鬼伝説は蝦夷武闘派のリーダーのことではないかと考える。蝦夷というとみな同じ種族と考えがちであるが、多種族が東北地方に住み着いており、その中に穏健派蝦夷とされる種族と、武闘派蝦夷とされる種族が混在し、穏健派蝦夷を力で武闘派が抑え込んでいたということは当然考えられる。

 

だからこそ、坂上田村麻呂等の蝦夷征伐で武闘派蝦夷の討伐が行われた際、穏健派蝦夷に受け入れられたのではないだろうか。宮城では「救いを喜び」、岩手では鬼(武闘派蝦夷)の成敗で「喜び踊る」ことになったに違いない。

 

東北の祭りや民謡には古代ヘブル語を登場させると、岩手だけでなく、青森も宮城も川守田英二氏の論で説明がつく。そして、同時代の蝦夷の中の種族に古代ヘブル語を話すことのできるものがいたからこそ現代にその痕跡を残しているのではないだろうか。

 

盛岡さんさ踊り」は「喜びの踊り」に違いない。