おとといエントリーの「アフガンイカライス」を書いているときに、イスラム教の戒律で烏賊を食べることができるか調べていたら、食べられないということが分かった。イスラム教の戒律で魚は鱗のあるものしか食べてはいけないから、烏賊や蛸は駄目なのだ。

 

本当はアフガンイカライスをイスラム教のアフガン人に食べさせたかったが無理だと分かって諦めた。

 

調べているうちに、イスラム教が認める一夫多妻制について知ることになった。イスラム世界に限らず、世界中に今なお一夫多妻制が存在することに驚いている。

 

イスラムの世界では4人まで妻を持つのことが許される。ただし、妻とするものをわけ隔てしてはならない。また、それなりの収入もなければならない。特に認められれば5人以上の妻をもつこともできるという。

 

一夫多妻制が容認される背景は、戦乱で成人男子が少なくなることと、残された妻子の生活が困難となることから扶助を目的としたようで、社会保障の精神を垣間見ることができる。

 

西欧の社会保障はお金を出し合う扶助が中心だが、アジア・アフリカの社会保障は違うようだ。一夫多妻制という方法が定着していた。

  

古代日本でも一夫多妻制は存在し平安時代には男は多くの女のところへ通うのが常識だったようだ。しかし、一見自由に見える内容だが、既婚者に手を出してはいけないのが、昔からのルールである。鎌倉時代の御成敗式目で既婚者に対する不義密懐の処罰がある。イスラム社会のジナの処罰に近似していている。このあたりは、戦に行く夫が安心できる担保となっている。

 

一夫多妻制が複数の正妻を持つか或いは複数の妾を持つ形態のいずれかで存在するが、経済的な担保がなければどちらも成立しない。多くの者を扶養するといったことからすれば一夫多妻制は社会保障制度がない社会では必然的に生まれたシステムなのかもしれない。

 

一夫多妻の視点からみると現代の社会保障における扶助の概念がどうも誤っているように見える。扶助を受けるものは妻同士それなりに水汲みや家事等をし働かねばならない。今の日本で生活保護を受給する者の労働が見えてこないところに違和感を覚える。

 

社会保障が扶助を目的とする制度であるのに、単に所得再分配機能が基本となると論ずるところに誤りがあるのではないか。またその運営資金を扶助を受ける者からも徴収する消費税とするところに矛盾があるのではないかと怪しんでいるところである。

 

一夫多妻制は子供を増やすためのシステムであるとともに妻たちを扶養するシステムである。多くは一夫一婦制の中で公式に一夫多妻制を認めた先人の知恵は素晴らしい。倫理の崩壊しかけている日本の社会において社会保障制度の扶助の原点を考えるヒントになるに違いない。

 


【おまけ】 ・・・税制の抜本的改革

 

では、どのように結びつけるのか。

 

高額所得者のスキャンダルに関して、慰謝料が存在する。これは、一夫一婦制が確立される中で存在する話だ。妻は夫が不貞をなしたことを理由に離婚請求を行い、同時に億単位の慰謝料を請求するから、その慰謝料に対して税を課す。(不貞税)

 

一夫多妻制を認めることを前提とし、一夫多妻税の新設。(多妻税)

 

世の中の風潮として、早く結婚して早く子供を産むということがなくなってきている。出会いが少ない、生活ができる所得がない、子供を育てる環境にないなど、個人的な理由が少子化の原因となっている。そこで、独身者に年齢による傾斜加重税(若い者は低率の税金とし年齢が高くなるに従い税率をあげる)を課し、婚姻を早めるようにする。(独身税)

 

まあ、思いつくまま書いているから理路整然とはいかないが、税制の抜本的改革というのはそういうことではないのか。全国民から応分に徴収できる消費税の税率変更だけなら抜本的改革ではない。

 

税制の抜本的改革とは社会の潜流を汲み取った改革ではないかと怪しんでいる。